伊達小次郎は生きていた!!江戸の寺で住職!? | 08harusanさんのブログ

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朝刊より☆

仙台藩祖伊達政宗の直筆の手紙から人物像を読み解く講演会が11月下旬、仙台市宮城野区役所でありました。
元市博物館館長の佐藤氏が、家督相続争いをめぐり政宗に手討ちにされた実弟の小次郎が、実は生き延びていた。とする研究成果を発表しました。


佐藤氏は小次郎と大悲願寺(東京都あきる野市)の第15代住職の法印秀雄(しゅうゆう)は同一人物とみています。
寺の過去帳を入念に調べ「陸奥守政宗の舎弟也」と政宗の弟であることを示す記述や、政宗を「秀雄の兄」として死後に供養を行った記録を見つけました。政宗が1622年に訪れたことを記す「白萩所望状」も寺に残っています。

伊達家の正史「貞山公治家記録」は1590年、政宗が豊臣秀吉に会うため小田原に参陣する直前、母義姫による毒殺未遂事件が発生。義姫が伊達家を継がせようとした小次郎は、政宗に斬られたと記しています。
佐藤氏は「命懸けの秀吉との対面を前に、血統を絶やす実弟の殺害は考えにくい。伊達家の混乱を防ぐため、政宗と義姫が申し合わせて小次郎をかくまったのではないかー」と述べました。

講演会を主催した市公園愛護協力会連合会宮城野支部長は「父や弟を手に掛けたという負の印象が少しでも改められ、政宗の人間像が変わるきっかけになればいい」と話しました。











宮城県登米市に建てられた、伊達小次郎様の墓所◆
(※画像はサイトからの引用)



小次郎様(竺丸)のお墓の傍らには、じっと見守るように、守役小原縫殿助様の墓石も建っています。
小次郎様の生き延び説が大々的に、発表され、実証されれば、歴史は大きく変わるのですー!
政宗様ー御願いにございます~真実が知りとうございまする~( ̄ー ̄)







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