イエス・キリストのことば
4つの福音書から学ぶ 「ヨハネの福音書」から。その5
「わたしがいのちのパンです。」 (ヨハネ6:35)
6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
イエスは自分をいろいろなものに例えた。神のことば、世の光、神の子等があり代表的なのは「道、真理、命」です。自分がどのようなものかをイメージさせ皆に分らせるためである。羊飼いに例えたこともある。羊はほぼ盲目で歩く速度が遅い。羊飼いが守ってくれなければ安心して生きていくことができない。だから当時のユダヤ人のとって、羊飼いのたとえはイエスは自分達にとり守護神の役割りだ、という理解だ。ここでは自分を「いのちのパン」に例えた。パンは必需品だ。
当時のユダヤ社会は飢えた状態だった。ユダヤ民族の歴史にはエジプトでの奴隷状態から解放したモーセの物語が聖書の中に出エジプト記をはじめ多くの箇所に書かれています。彼が率いた二百万人の民に神がマナという食べ物を天から降らせ、いのちのパンを与えられたことを知っていた。だからイエスのこの例えもよくわかった。他方現在の日本人にこのイエスのたとえが分かるだろうか。飽食の日本、飢蛾と無縁の日本人にはわからないだろう。二千年前のユダヤはおそろしく貧しかった。国民の多くはその日暮らし、食べるものも十分ではなった。
だから「いのちのパン」を求めそれにイエスが応えた。イエスが示したパンはその日だけものではない。「決して飢えることがない」ものだ。そんなパンがあるのだろうか。決してという言葉は永遠ということに結びつく。だとすると永遠に飢えることがないという日本人が経験したことがない味わったことがないものだ。だとすると理解できないが興味はある、イエスは魂の救済だけではなく肉体に必要なものからも目を離さなかった。すぐれてリアリストである。そして例え話の天才でもある。