こんばんは。。
というには、申し訳ないくらい
ブログを書いてません。
もしかしたら…もしかしなくても

2026年お初のきちんとしたブログな気がします。

今日、3月ですって!
びっくりします。明けましておめでとう
とか言えない。(当たり前)

が!わたし、今日は
使命感!!で
重い腰をあげて書きます!

だって、限定公開が限定すぎて
早くしないと終わっちゃうから。
限定公開に行って欲しくて!!

ということで、
本日は
国指定史跡  日本遺産
大町釈迦堂口遺跡

について、緊急でブログ書きます。

鎌倉市のhpからお借りしてます


釈迦堂切り通し

鎌倉には切通と呼ばれる
山を切り開いて道が作られてる場所があります。

三方を山にかこまれてもう一方は海の
鎌倉なので 
山を切って交通の便を良くする役割と
こんな細いですから、敵が攻めてきた時にも
守りやすい
ということで 鎌倉には7つの切通があります。

釈迦堂切通はいまは、
崩れやすいとの事で通行止めになってますが、
今回限定で釈迦堂切通付近の遺跡公開
がされました。ので
早速いってきました。



名越 という場所にあり、

住宅街をずっと歩いて突き当たった山に

釈迦堂口遺跡があります。


平場2 と呼ばれてる場所

北条時政の屋敷跡
ではないか?と言われてるそうです。
少し登っていくと



やぐら



もう、やぐらだらけ


やぐらとは 横穴墳墓 です。

鎌倉は土地が少ないので

お墓を立てる場所がないので

こうやって穴を掘ってお墓を作ったそうです。

たしか、北条泰時が墓はやぐらに作れって

決めたんじゃなかったかと思います。

(間違えてるかもしれない)


鎌倉石

と呼ばれる 凝灰岩 でできてるので

柔らかく掘りやすいため やぐらが作りやすかったのかもしれません。


目の前に大きな大きなやぐらが沢山あって

大迫力です


平場1と呼ばれる場所。

ここに 北条時政の屋敷が…あったかもしれない

との事ですが


発掘調査をすると火葬の跡とか、

柱の跡と礎石などがでてきたそうです。


火葬場と寺院のような宗教施設

だったのでは?という見解だそうです。

だから、やぐらも沢山あるのですね。


時政の年代より後の遺跡がでてるので

時政邸では無かったとのことです。




ここから青磁の器も発見されたそうで

現在は東京国立博物館にあるそうです。


わたし、この前トーハクにいったときに

鎌倉から発掘された青磁の器を見たのですが

どこの物かすっかり忘れてしまい。

でも写真の器によく似たものをみたので

ここから発掘されたものだったかもしれない。

綺麗な器(欠けてないようにみえました。)でした。


今回限定公開期間中

無料のガイドツアーが 1日4回行われてます。


なので時間まで平場1で待機。



なんか 陶器の破片を見つけました。


いつの時代のものなのだか分からないけど

遺跡の場所にあると

なんだか、貴重なものなのでは?と思ってしまう。


こんな貝殻みたいなものも見つけた

キラキラしてる貝殻


ま、発掘調査してるから、

貴重なものなら、回収されてるはず。

ただの貝殻なんだと思う。




さあ、ガイドツアー始まりました。


や…凄い人が集まってて

300人いたそうです。

朝イチの回だったので、

今日だけで何人来るのか…


2班に別れて出発しましたが

出発前に概要を教えていただき、

登山開始後はガイドさん見えなくなってしまった。


ここは、個人所有⇒保養所となっていたそうで

保養所時代に回遊出来るように道が整備されたので

割と歩きやすい。




まず、見えてきたのは


唐糸やぐら

鎌倉検定の勉強で覚えた 唐糸やぐら!

どんなやぐらかもわからず

名前だけ覚えたので

すぐ名前忘れてしまって、なんだっけ?

となってた唐糸やぐらですが、

やっぱり、実際に見ると忘れないですよね。

頭にスっと入ってくる。



唐糸やぐらの 中の壁です。模様があります


御伽草子の 唐糸草子 のお話の舞台になった場所


木曾義仲の家臣の娘 唐糸が

鎌倉に送られました。

スパイ 暗殺みたいな役割で…。

頼朝が義仲を討とうと計画してるのをしって

唐糸は、頼朝を暗殺しましたが

失敗に終わり幽閉されました。

幽閉されたのが、この唐糸やぐら。


唐糸の娘 万寿姫が母を探しに鎌倉へやってきました。万寿は、舞がとても上手で

唐糸の娘だと知らない頼朝が万寿の舞をみて喜び

褒美をさずけよう!何が欲しい?

と聞いたところ、

母と私を交換してください!と頼んだそうです。

唐糸の事は絶対に許さないと頼朝は決めていましたが、万寿の願いを聞いて 唐糸は救われたというお話。

この話は本当のようなのですが、

このやぐらに幽閉されたという

証拠は何もないそうです。


江戸時代にこのお話が流行った際に

ここじゃない?絶対ここだよ!

なんて庶民が言い始め、このやぐらが

唐糸やぐらと呼ばれたそうです。

通説でここが唐糸やぐらになったとの事。


この唐糸やぐらのすぐ隣に

地蔵やぐら がありますが…

写真枚数がこれ以上載せられないのでパート2で!



お読み頂きありがとうございます。

続きもどうぞー!