今日は朝一の高速バスで高松に帰っています。
会社は少し遅刻の予定。

6.1(金)
シゴトを早く切り上げて実家に帰りたいと思いつつも、月初で、結局16時半に退社。

バス内でしっかり休息して、実家での時間を大事にしようと思ったけど、あんまり寝れなかった。
ひたすら目つぶって、少しでも頭と体を休めることにつとめた。
一人だと泣くかなと思ったけど、バス内では割と気丈だった。

難波ついて、本屋へいって、
介護、百恵ちゃんの本、探したけど変えず。
保存のきく料理を実家で作れたらお父さん楽かなと思って、その本購入。
(今回は結局つくれなかった)

駅まで父が来てくれた。
車の中、いつもやったらもう少し会話するんやけど、
「帰って説明するから」
程度しか話さなかった。
お互い疲れてたなあ。

22時頃から、お父さんが買ってくれてたスーパーのお寿司を食べる。
お父さんは私に小さなビールをすすめて、お父さんも同じビールを飲みながら、主治医のメモをもとに説明してくれた。

こうが腫。
最悪性の原発性脳腫瘍。
塊というより、染み込むように、
脳細胞に絡まるようにひろがる。
肉眼で確認しきれない為、
手術で取りきれず、再発する。
場所も良くなく、手術で取り除区さいに、
運動神経を傷つけ、寝たきりになる。

手術して欲しいと思ってたけど、
できないんだなって思い知らされた。

お父さん、あんなにビールのむの早かったかなあ…
目頭涙ひかってるし…

いつもの精神科のあと、右腕の握力を心配してお父さんは整形外科へ連れていったらしい。
異常はないからと雑に扱われ、
それでも必死に食い下がって、
神経内科を紹介してもらったらしい。
神経内科でも原因は分からなかったけど、
神経内科の先生は上手く脳外科に導いてくれて、脳外科の先生が見つけてくれたらしい。
こうが腫ははっきりした腫瘍というより、
薄く雲がかるタイプ。
見つけにくいものを見つけてくれた先生に感謝だし、父の食い下がりで早く見つかった方だった。

でも、早期発見でも、完治はしにくい…
ほんと、恐ろしい…こうが腫。
発症したらどうしようもないし、できた場所も悪かった。

家は思ったより綺麗だった。
お姉ちゃんが来てくれたり、
お父さん自身頑張ってるんだと思った。


6.2(土)
朝ご飯食べながら、お父さんといろいろな話をし、その後病院へ。

面会時、何とか泣かずに顔をみれた。
検査手術のため一部髪をそり、5センチほどの縫い傷があった。

ベッドにはいるけど、今までのどおりの母。
逆に私が安心させられた。
でもそれって、現実逃避なんやろな。
もうここから弱るしかないもんな…

右半身は動きにくいけど、あとはまだ大丈夫。
利き手でない左手で食事を摂るため、
スプーンですくいやすいよう
切り刻まれた食事。
こぼしながらも、全部たいらげる母。
「左手器用やね」
「食欲だけはかわらんなあ」
「病院食やともうちょい痩せてきれいになるわ」
なんて笑ってみる。
笑い治療で奇跡おきへんかな、なんて変な期待こめながら。



もうすぐかいしゃつくなあ、
続きはまたシゴト終わりやなあ。


さっ帰りのバスで続き書こう。

食後、初めて車イスで病院の外の公園へ。
少し気晴らしになってたらいいんやけど、割とすぐ病室に帰りたがった。
あやめがさいてて、それを背に両親の2ショットを撮った。
みじめだと嫌がってひきつった母。
辛いけど、必死に笑う父。
思いでの写真になるかなあ…

土曜の時点で、既にお母さん方のおばあちゃんは病院に2泊していた。
八尾で独り暮らしする89歳のおばあちゃん、家にいても娘が心配でどうしようもないって。
一人でタクシーや電車乗り継いでくる、ほんと元気なおばあちゃん。

でも、泊まる環境は決して良くない。
看護師さんはバタバタしてるし、
ご飯はコンビニだし、
ベッドも簡易。
お風呂なし。
そんなとこにおばあちゃんが何泊もしたら、しんどいに決まってる。
お父さんも、私も私の姉も、おばあちゃんに帰るよう促すけど、全然ダメ。
おばあちゃんの事まで心配になるよ…

お母さん、昔からおばあちゃんに甘えてばっかり。
統合失調で、よく泣きながら電話もしてた。
ほっとけないのも分かるけど…
一人にしておけないんだろうけどさあ…

気持ちが勝ってしまって、自分が側にいて少しでも早く元気になってほしいんだろうな…


(以下、6/4記入)


14時ごろに、おばさんも来た。

お母さんより6歳上の姉。

お母さんは、病院の電話で泣きながらお姉さんにも電話してるみたい。

おばさんも家庭があるから、そんなには来れないけど、

妹に泣きながら電話されたら、とんで来たくもなるよね…


ほんと、うちのお母さんは孤独に弱い。

多分、結婚する前からそうなんだろうな。

ほんと、この年でもおばあちゃんおばさんによく甘える。

お父さんには、お母さん側の家族の雰囲気が理解したくてもできないみたい。

おばあちゃんおばさんの対応を見ていて、だまってしまう…


お見舞いにくる人も、みんな初心者。

みんなおかあさんが心配で、飛んでくる。

病室には人がたくさんいるけど、遠慮しあいがち。

今後、何とか上手くローテーションできればいいなあ。


お父さん、相当しんどいと思う。

お母さんがさびしがり屋だから、できる限り病院にいてる。

弱っていくヨメを見るのは、辛いと思う。

家に帰って、慣れない家事頑張ってる。

食事はコンビニとかになりがちみたい。

10時過ぎに来て、19時に帰る。

おかあさんがぐずぐずしたら、19時以降に病院が電話くれることになっていて、

電話があれば、また病院に向かうらしい。

お母さんの余命を夫として受け止めるだけでも大変なはずなのに、

あまり解放されない。

女性ならまだしも、男性がずっと病院に居るのって、かなり大変だと思う。

お父さんなりに、長期の介護を意識して、こんな毎日のリズム作ってる。

けど、おばあちゃんは

「娘がさみしがるから病院泊って」

と言うらしい。

おばあちゃんの気持ちも分かるし、おばあちゃんなりの看病の仕方も分かるけど、

同じ看病の仕方をお父さんに求めないでほしい………

お父さんまで倒れたら………

ただでさえ、娘の私はお父さんの体調が心配なのに…


お父さんは、

「泊ることはできない。おばあさんに恨まれるだろうな…」

なんて言ってた。

お父さん、現実を受け止める間も無く頑張ってるのに…

恨まれる可能性を意識しないといけないなんて…
私は、おばあちゃんを責めたいわけじゃないけど、お父さんを支えたいと思った。


みんなお母さんのことを心配してるのは一緒だけど、

同じ方向を向いているようで、なんかぶつかり合う。

こんなこと、実家帰るまでは予想してなかった。

お母さんの余命を受け止める間もなく、諸手続やら看病やらで忙しいし、

お母さんを中心とした周りがぶつかりあうこともあるんだなと思った。

現実ってほんと悲しい。

介護疲れという言葉の意味が少し分かったような気がする。


お父さん、私、お父さんを支えるからね。。。。。

お父さんが頑張ってくれたおかげで、早く治療が始められたんやから…

ほんと、お母さん思いだと思うよ。


余命を知っているのは、お父さん、私の姉、私。

まだおばあちゃん、おばさんにはいえていない。

現状から考えて、おばあちゃんには説明できない。

おばさんに先ず伝えて、おばさんからおばあちゃんにどう伝えるか判断してもらおうとしてる。


私も、お母さんの食事を手伝ったり、身の回りの片づけをした。

初日は、お母さんに元気出してもらおうとはりきって、きれいな格好をしていったけど、

服汚れてしまった。

汚れてもいい服でいかなきゃな↓


お母さんは

「死にたくない」

「どうせ私は死ぬんや」

「がんかもしれん。死ぬかもしれん」

と漏らす。

そうやんな、いざ自分に死がふりかかるとなったら、冷静ではいれないよね…

もっとやりたいこともあったよね、59歳だもん。

お父さんと一緒に、幸せな老後を過ごしたかったよね。。。。。


家に帰って、お父さんとスーパーのお惣菜を食べる。

お父さんはビールが欠かせない様子。

色々話した。


その後、私はお父さんが平日食事に困らないように、ご飯を炊いて冷凍した。

そのことをノートに記し、食事はこんなことに気をつけてほしいと、知ってることは書いた。

あとは、お母さんが今日漫画読みたいといってたことなども記した。

今後このノートを活用し続けれるか分からんけど。

家族みんなで共有できればいいなと思った。

お姉ちゃんもときどき家事しに来てくれるから、

ノートに記せば、私がした家事とかぶらないようにもできるかもしれない。


6.3(日)

お父さんに休日が必要と判断し、私だけ朝から電車で病院へ向かう。

おばあちゃんは昨日も泊ったようで、まだ居た。3日連続。

朝、おかんはぐずってたらしい。

日曜は院内の売店も休み。

おばあちゃんの食事が無く、病院向いのコンビニで買ってきてあげた。

おばあちゃんが日曜泊るのは、何かと不便かけるかもしれない。

その旨は、お父さんに伝えておいた。

病院ついて、汚れてもいい服に着替える。

お母さんの食事を手伝う。

身の回りのものを洗う。

良い香りのハンドクリームを塗ってあげた。右手は動かない。だらんとしている。

グロス塗ってあげて、鏡見せてあげた。喜んでた。

阪神をテレビで観戦した。

試合に文句言いながら見る母、いつもと変わらなくて、懐かしい。

16時に帰ったけど、まだおばあちゃんはいた。

おばさんが来るかもしれなくて、おばさんがもし来たら、交代するという。

その後どうなったんだろう…


姉夫婦が実家にきて、みぞれ鍋つくってくれた。

余命宣告後、私は初めて姉とあった。

電話やメールでは気丈やったけど、2人で話してると、本当につらそうだった。

父と姉は、500mlビール缶を早々に3缶ずつあけてた。

こんな様子、見たことない…

姪っこだけはあいかわらず。

大人はおかんの話ばかり。

でも、この場にいつもいた母は居ない。

姉のだんなは、前職が介護師で、母が1連の放射線治療を終えて退院した際

家に必要なものを提案してくれた。

スロープ・介護用ベッド・簡易トイレなど、全部レンタルできるらしい。

お父さんの話を、目をそらすことなく一生懸命きいてくれてるだんなさん、頼もしいと思った。

そして、父は現実を受け入れる間もなく退院後のことまで考えないといけないんだと思うと、父の体調が心配になった。


姉夫婦が帰ったあと、父とまたたくさん話した。

家族のこと、たくさん話した。

こんなに家のことについて話したのは初めて。


お母さんは、身をもって家族の絆を強めてくれたのかもしれない。



最後まで読んで下さった方、もしいらっしゃったら、本当にありがとうございます。

半分備忘録のような日記ですいません。