津軽七福神めぐり①~大黒天~ | つゆヤキソバン&はれぢ団長の黒石市大好きブログin青森県

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『津軽七福神めぐり』

第1弾は大黒天様。

青森県弘前市百沢 岩木山 求聞寺(ぐもんじ) に行ってきました。

大黒天様はインドの神様と大国主命が一体となった神様で

頭巾をかぶり、大きな袋を背負い、打ち出の小槌を持ち、米俵の上に座っています。

農産・福徳の神である大国主神【オオクニヌシノミコト】と呼ばれています。

そのルーツは、サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれるインドの神様だそうです。

そのマハーカーラを漢字にすると摩訶迦羅となるそうで

マハーは大、カーラは黒色を意味するので大黒天と呼ばれているそうです。

この大黒と大国が同じ響き(音)から大黒天と大国主命が同一視されるようになり

日本での大黒さまは福の神というイメージに発展していったそうです。

この七福神めぐりは勉強にもなりますね!

岩木山神社のすぐ近くにあり、一休さんらしき立て看板がお出迎えしてくれます。

きっと、お寺の名前が読めなくたって気にしない、気にしない!っていうことですかね?

寛永2年(1625)創建された求聞寺は、弘前藩・2代藩主津軽信枚が、

藩主の跡目争いで荒廃した領内の安寧を憂い修業を行ったそうです。

そして、念願成就した寛永6年に虚空蔵堂(求聞持堂)を建立し

虚空蔵菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。

有名な話で、百沢寺そばの森の中に穴を掘り、求聞持法という荒行を行ったそうです。

そして、求聞持法は真言宗の修行でも最もつらい秘法とも言われ

「自分の命が10年縮んでもよい」と指1本を1年として10本の指に傷をつけ血を捧げた。

祈願を終え、その場に「求聞持堂」を建立し、女人禁制の霊地にしたと伝えられています。

※参照「津軽一統誌」

明治時代初めに発令された『神仏分離令』により

隣接する岩木山神社の別当である百沢寺(ひゃくたくじと読みます)が

廃寺となったため津軽三十三観音霊場第三番札所を継承したそうです。

そのため、道端には、三十三の観音像が立っており(写真はその1部です)

この観音像の下には四国の霊場の土が敷かれているとのことです。

※明治9年に火災により焼失し明治26年に再建(現在の本堂は昭和39年に改築)。

丑と虎の守り本尊ということでしっかりと手入れされていました。

声を掛けて本堂に入らせていただきました。

見物ではなく、しっかり心を静めて撮影をさせていただきました。

大黒天様とついにご対面です。

しっかりご利益が有りますよう手を合わせさせていただきました。

外には大きな鐘が有り、少年時代以来初となる体験も出来ました。

こでも気持ちを静め『ゴーーーーーーーン』

そして、お朱印を頂戴し無事にミッション完了。

うわさのように確かに「津軽には七福神めぐりが出来るらしい」は本当のようです。

しかし、まだまだ始まったばかりです。

しっかり最後までリポートしたいと思います。



 
 


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