特別にしたくなくて、普通に過ごすはずだった。

特別な想いがある旦那の希望で、
いつもの神社さんで黙祷。

あんなことになっちゃったけど、
一年経って、私や私の周りは全員無事。
現状に不満もあるし、家族内の亀裂は大きい。
だけど、祈りながら思ったんだよ。
誰もが無事で日常があるから不満もでてくる。

不平やいさかいができることに感謝。
不平もいさかいも余裕があるから、出てくる欲求の産物。
そんな余裕すらなかったし、生かされてるから出せること。

生かされてるって、前はよくわからなかった。
あの状況で、自分で選択なんかできない。
奇跡と偶然の連続で命をつないでいた。
自分で生きてるなんて、おこがましいと思った。

一年前の今日はすべてのものがありがたかった。
ことば、水、米、家、家族、友だち。
余裕と共に心が変わった。欲が出てきた。
良いことだけど、本当に忘れちゃいけないのはそういう気持ち。

今更ながら、慌てて送ってくれた津波に気をつけてメールの気持ちに気づいた。
事の重大さがわからないまま、
丘に住んでる気楽さで、ありがとう、でも大丈夫よ♪なんて
返したけれど、溢れる報道に心配をしてくれたんだよ。
状況が全くわからない私にその真意はわかってなかった。

たしかに、怖いことだった。いつもの地震と思った
明日にはいつもの日常が帰ってくるさと思ってて
ほんの数キロ先の悲劇や危機一髪の家族のことなんて知りもしなかった。

そのまま、非常事態突入、引っ越し、転職。
脇目をふる間もなく走り続けた。

走ることより走っていない間の方がずっとつらい。

ただ、釈然としないのは東日本大震災だけが特別扱いだってこと。
昨年、たくさん災害があった。
近年、たくさんの悲劇が起きた。

この差がどうしても納得いかない。
被害者の人数?被災範囲?首都圏の被害との関係?
他の被害は?誰かの命や生活が失われたことに大小はない。

未だに報道には偏りがあり、何も進まない地域には目をつぶる。

当事者になってみないとわからない。
次に生かす。しかないんだな。
1人の力は小さいけれど、踏み出すか踏み出さないかは大きい。
特別になってしまった日にも、たくさんのおめでとうがあったはず。

普通の日に戻れるように。あの日の感謝を忘れないように。
いつか誰かに手をさしのべることができるように。

いや、先週の方がふりっかえしがきつかった。
過ぎてしまえば、前に進めるけど
前に立ちはだかる壁には気が重くなる。

しかし、月曜朝からサイレンとバカ騒ぎは気が滅入る。
ちょっとデリカシーにかけすぎでしょう。
うちの家人がパニックでしたよ。私は耳を塞げるから、いいけど。

時間がわからないから、仕方なくつけてるけど
代替手段をそろそろ考えないとならないな。