震災の爪痕もまだ生々しい、宮城から
陽だまりの雰囲気漂う埼玉に。
引っ越したのが、もう半月前になります。
まだ、ライフラインも回復しない、あいている店も
ほぼなく、開いたとしても1,2時間、生鮮食料品は
見つけた時にしか手に入らない宮城から、
24時間営業、短縮営業でも20時くらいまではやっている土地。
まだ、生鮮食品が買えない、水もガスも使えない状態からの
引っ越しだったので、戸惑いつつ、残してくる両実家への罪悪感を
感じつつの引っ越しでした。
ああ、避難してきたのねぇという視線を背中に感じながら
お義父さんたちと私たち夫婦とで、地道にお引っ越し。
もともと、そういう予定でいたんです。
仕事が仙台になくなってきていて、今春引っ越し。
お義父さんが2tトラックを貸してくれることになっていて
2月には家の契約も終わっていたところでした。
だけど、罪悪感の中にいち抜けできた安堵感があったのも
間違いないです。
宮城県民には震災よりも怖いものがあったんです。
いや、今もそうです。
震災で備えを使ってしまっている今、近しい未来にくるはずの
宮城県沖地震。
前回は私が生まれたちょっと後の地震です。
来るぞ来るぞと言われてそろそろ十余年。
宮城県沖がとうとうきた!と思っていたら、違う地震。
まだ、確実に大きいのが来る。それを感じつつの避難生活は
本当に恐怖でした。
南には原町、北には女川。二つの発電所がどこまでおとなしくしてくれているか
新たな宮城県沖でもおとなしくしてくれているのか。
情報もほとんど入らないので、ご近所のうわさ話と自分の足だけが頼り。
こちらに越してくるまでは、物資がいつ手に入るかもわからなかったので
飢えとの戦いもありました。
生きていくだけぎりぎりの食料で飢えを凌ぐ生活。
それでも、食べられていた私たちはしあわせでした。
家族が無事で、家の布団に寝ていることができた。
とうとう、生米生活かと思われたころ、電気が復旧してごはんが
炊けるようになりました。
いつ、また電気が止まるかもしれない、いつ、また、宮城県沖地震がくるかもしれない。
そう思うと、玄米をまとめて炊いて、酢飯にしてそれを数日間にわけて食べる生活になりました。
食料を求めて一日30kmは歩いていました。携帯についた歩数計がいままでの
記録を塗り替えていきます。
道中、炊き出しや営業を再開している店の好意で、暖をとることもおなかを満たすこともできました。
吹雪に見舞われたことも。
引っ越し先は埼玉県内でも小さな町でとてもゆっくりとした
時間が流れています。
はるか遠い昔のふるさとを思い出すような土地です。
たどりついた市役所が、計画停電で住民票の異動が後日へお預けになったのはご愛嬌。
東京通勤圏内なんですけどね。
いいところです。完全に胃袋をわしづかみにされました。
今は桜も菜の花も満開です。
こんなごたごたで、まだ仕事も決まらないまま、のんびりと
時間が過ぎていきますが、こんな時間も人生には必要なのでしょう。
心機一転、がんばりますかp(^-^)q