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「安楽死は治療である」(死にいたるが)

という一文を目にして、

少しずつ受け入れられるようになってきた。

 

「ことば」によって人は生きているのだと、

あらためて感じる。

物事の捉えかたまで変えられる。

 

「納得するかどうか」も大事なこと。

苦しそうな猫に向かって

「あと2日間、看させてね」とお願いした。

 

獣医が「木曜日あたりに(決めよう)」

と言っていたからだ。

自分一人では判断しないでおこう。

 

引っ越し後、1階の和室をメインに1年以上過ごした。

その部屋に置いていたお守りのような絵を、

2階の部屋へ持ってきた。

 

今年の夏から2階の部屋をメインに使うようになり、

環境の変化に敏感な猫は、

もしかしたら戸惑っていたのかもしれない。

 

キャットタワーもそのまま1階に置いていた。

本来なら、キャットタワーや猫トイレは、

家族が過ごすメインの部屋に置くといいそうだ。

 

キャットタワーもトイレも、

2階へ持ってくるべきだっただろうか。

「部屋が狭くなるし、

 1階の部屋も使うから、そのままでいいや」

と考えてそのままにしていた。

 

もっと猫のことを丁寧に考えてやるべきだった。

好き勝手しているわたしを、

猫は信頼してくれていたのだろうか。

自分を責めてしまう。

 

猫に対して不誠実な自分は、

もう猫を飼わないほうがいいのかもしれない。

定住すると決めた家がないといけない。

猫を不安にさせるのはだめだ。

 

終の棲家にたどりついたとしても、

猫を飼うのは考え直さなくちゃ……。

 

自分を責めることばかり頭に浮かんでくる。

 

けれど、

そんなふうに考えながら猫と過ごすなんて、

それこそ失礼なことなんじゃないか。

 

「いっしょに生きてくれてありがとう」という気持ちや、

「大切に思っています」ということを伝えたい。

最後までそうしたい。

 

変わっていくことをおそれないでいたい。

 

「今年で自分の人生は一区切りがつく」と、

この一年間、なんとなくそんなことを思っていた。

 

「2024年ぽっきりの我が人生とする」

と、カレンダーに書いていたのを、

猫は知っていたのだろうか。