おはようございます♪

 

 

 

 

 

 

         教室はかろうじて運営しています。

 

 

         この感染症が重かろうが風邪と同じだろうが 

   

         社会システムに関してはこれまでとほぼ変わらないので 慎重にしています。

 

 

 

         なんせ濃厚接触者はクラスター以外

         基本的にはもう家庭内のみの通知ですから 

 

         つまり あとは自己判断になるわけで

 

         その自己判断の自己って   人によって感性が違うわけで

 

 

         「私は大丈夫」という人ほど危険と思うからです。

 

 

 

         だから レッスン前日から直前にかけて個人個人に連絡しています。

 

         教室の生徒さんたちは きちっとした人しかいないので

 

         個人的な事をきちっと話してくれます。 本当にありがたい。

 

 

 

         こうやって手間をかけて  レッスン可、不可を伝えて 運営していますので

 

         

         大変は大変なのですが  

         気持ち的には安心感の中にいるので  レッスンに集中出来ます(´ー`)

 

 

 

         レッスン回数自体を減らしたし  いつまた完全に閉じるかわからないせいか

 

         みんなすごい練習してくるしね\(^o^)/

 

 

 

 

 

 

 

         最近は ピアノを弾くこと、こんなにありがたいことなのかと身に染みて思います。

 

    

         年々歳をとり  あっちこっち身体もぼっこぼこで 自律神経もフラフラ増して

 

         そして この長引く感染症で  仕事が激減、 

         加えて演奏会の計画もしにくく  

 

         近々はウクライナ情勢が日に日に緊迫していく中で思うのは

 

      

         未来ってわからない。ということ。

 

 

 

 

         ピアノの音をポンと鳴らすことさえ出来なくなることが今後あるかもしれない

 

         と、思うと

 

 

         今、目の前にピアノがあって 楽譜があって 美しい音を奏でられることは

 

         当たり前ではないんだ。と。

 

 

         

 

   

         当たり前に食べ、当たり前に寝て、当たり前に家族に会い、当たり前にピアノがある

 

 

 

         なんだか

 

         その当たり前をぎゅっと抱きしめたくなります。

 

 

 

 

 

 

 

         私が頑なにスマホを持たないのは

 

         あれば使うから。自分は強くないとわかっているからです。

 

 

 

 

         リクエスト主は考えなしに私を喜ばせようとアルコール買ってきちゃいますけれど

 

         あれば飲んじゃいます。

 

 

         湯殿のクーポン券が目の前にあったら行っちゃいます。

 

   

         

 

         あればdoです。

 

 

         それが人間。

 

 

         動物の前にスマホを置いたところで ニオイを嗅ぐだけで終わるわけですから。

 

 

 

 

         だから 核があれば使ってしまうのではないか?というのが自論です。

 

         

 

 

 

         当たり前ではない日常に感謝して今日も教室を運営します。

 

 

         

 

         今朝のお弁当作り。

 

         ピーマンの肉詰め弁当にしました(´ー`)

 

 

 

         今日も一日を丁寧に過ごします。