おはようございます♪
4月ももう半ばですネ。
人生の節目な方は きっとコロナ禍でいろんな影響が出ているのだろうナ。
と、察します。
そんな中でも 先日テレビでちろっと見たのは
数日、1週間そこらで仕事を辞めてしまう新社会人についてでした。
思い描いていた会社と違った、
辞めるなら早いほうがいい、
ということらしいのですけれど
多分 どこに行っても
仕事というのは
思い描いていたものと違うからループするだけだと思いますし
辞めるなら早いほうがいいというのは
詐欺めいた会社は別として
どんなこともある程度見ないとわからないですよと言いたいです。
一方で テクハラという言葉があるらしい。
もうこの世は ハラスメントだらけで
誰しも訴えられる気がしますけれど
テクハラはコンピュータなどに慣れていない中高年に
それらが得意な若い年代が上から目線な態度をとることらしい。
へー。すごい時代だナー。
先日、生徒さんで
「今の子って すごい演奏技術があるんですヨ。
昔の人で その歳でそこまで出来ていたか?って言ったら違う。
なんでなんでしょう?
・・・・でも。
なんか 欠陥を感じるのですけれど。それもなぜでしょう?」
と、質問がありました。
んー。そうかー。
それはネ。
試行錯誤して初めて火をおこすAさんと
Aさんから 火をおこす技術を教えてもらったBさんとの違いなのですヨ。
Aさんは いろんな無駄をして時間をかけて習得するわけです。
ここには 悔しい思いや 火がおこせた瞬間の格別な喜びがあるわけで
無駄から 違う方面の学びもあるわけです。
また、
河原に行って 石や枝木を探すこと、
ああ、こんなところに こういう形の石があるんだと感じること
川がこういうふうに流れているから ここに石はたまるし 形はこうなるんだと。
Bさんは
火をおこすにはどうしたら出来たかという結果をAさんから聞くわけです。
火をおこすという作業だけでいえば
Aさんも Bさんも 内容は同じですけれど
Aさんの場合は
視野を広く持つことや 感情のひだが育つことや
何よりもネ
「考える力」が出来るわけです
まず自分で考えるということ。
試行錯誤の良さは
一見マイナス面だと思っていたことが
自分の力の蓄えになっているということです。
私が 昔から これ以上便利になるのはやめてほしいとこのblogでも
出演したラジオでも
演奏会などのトークでも 発信してきたのは こういうことなんですよネ。
でも 残念ですけれど
もうここまできたら 戻れないと思っています。
コロナがこれをさらに決定付けちゃったの。
あれ・・・?
今度はエンハラだって。
もう・・・・マスクの上に大きなバッテン書いて過ごさないとネ。
なんも言えねぇ。
さてと 今日もレッスンです♪
地味に生きて行こうっと。
一日を丁寧に過ごします。