やー。

 

 

 

         この暑さにマスクって・・・・・異常な光景としか言いようがないですネ(;´Д`)

 

 

         でも マスクを常に持つ生活に慣れたのか  

 

         財布、鍵、携帯、そしてマスクというふうにカバンに入れるのが必須になっている。

 

 

         いやはや 習慣って 本当にすごいですネ。

 

 

 

 

 

 

 

         習慣といえば 本当は運動を習慣にしたくて。

 

 

         コロナで社会がストップしたての時  無職状態の私はリクエスト主と農道を歩いたのですが

 

         

         昨日、久しぶりに夕方歩きまして↓

 

         

 

        この暑さの中  稲がこんなに立派に育っていて なんだかエネルギーを感じました♪

 

        

        夕飯は↓

 

        

       夏は夕飯作りが楽だ(´ー`)  

       ご近所さんからゴーヤも沢山頂いたので豚肉と炒めました♪

 

      

       今朝はその残りがお弁当にダイブ↓

 

       

 

      私も今日は勤務校レッスンでして

      すぐ食べられるようお弁当にしました(´ー`)

 

 

 

 

 

 

      

     そうそう。

 

      

      ちょっと前に  「日本沈没」という映画がテレビでやっていて

 

 

      リクエスト主が見ようというから録画を一緒に見たのですが 

 

      私は途中で寝てしまいました(゚Д゚;)

 

 

 

      私が好きそうだから見たのに・・・・という文句がきましてネ。

 

 

 

 

      地震によって ものすごい状態に日本がなるのですが

 

      その映像で  車がどう見てもミニカーにしか見えなくて

 

      いろんな物がプラモデルに見えたので 

 

 

      「サンダーバードみたい」と言って途中で気持ちが冷めてしまい寝てしまったのです。

 

 

 

 

      そういえば  先日、渡哲也さんが亡くなって 「西部警察」が何回も映像で出たけれど

 

 

      今見ると そんな刑事いないから どうしても臨場感として私は味わえない。

 

 

 

 

      そういえば 昔、サザエさんの原作を読んでいた時に  

  

      どうしてもその当時の社会情勢が「今」として肌で知らないとわからない部分があって

 

 

      「だめだ・・・」と 読まなくなった時もありました。

 

 

 

 

      日本沈没にしても 西部警察にしても サザエさん原作にしても

 

 

      嗜好的に

      きっと私の心を突く代物だとわかるのに  なぜか入っていかない。

 

 

   

      これは   

 

      やっぱり 時代は流れているんだ。ということに尽きると思ったりしました。

 

 

      でも だからといって  

      現代のようにCGでリアルなのを見せられても なぜか私の心はうごかないのよネ。

 

 

 

      で、

 

 

      考えてみました。

 

 

      

      多分なのだけれど

 

 

      その時代その時代で  一生懸命やらなくては伝わらないってこと。

 

 

      やっぱりネ、 手や足を動かして 危険なこともチャレンジしたりして 今を表現することってサ。

 

 

      

      じゃないと  情感ってのが湧き起こらないのだと思う。

 

 

      

      日本沈没も西部警察もサザエさん原作も  その時代で精いっぱいのエネルギーを注いでいたとわかる。

 

 

      当時 感動したり 生きる糧になったり 発散になったり 考えさせられたりしたのは

 

      そのエネルギーを感じ取れたからだよネ きっと。

 

 

 

 

      だから

 

 

      今は今でそういったのが必要なのだと思いました。

 

 

      小手先ではなくてネ。

 

      フェイクでもなくてサ。

 

 

 

      

 

      さて   夕飯準備だ(´ー`)♫