おはようございます?





      大昔だったら 多分大騒ぎになっていて パニックなはずの



      未知の感染症。




     でも今は


     平和が長く続いているからか あまり変わらない感じもしなくもない。







      昨日はお昼を作りながら テレビを見ていたら



      「世界の歴史を見ると 感染症を乗り越えた後に 


      文化や文明が栄えてきた」



      ということを解説していて



      一見 希望が持てるようだけれど



      解説する女性が にっこり楽しそうに説明していて


      亡くなった人も沢山いることもテンション高くて・・・。



      なんていうか。


 


      完全に違和感でした。




      なんていうか。  



      こういう大人がいて しかもこういう大事なポジションにいるから



      世の中おかしくなっちゃうのだよネ・・って思いました。




      加えて


      そのテンションに引いているくらいなら


      CMの時にでも 周りの人が教えてあげればいいのに・・



      逆にかわいそうって思いました。





      コロナでいろんなことを思う。




      例えばK-1のこと。



      県や国の要請に従わずに開催したことで賛否がある。




      私 個人の考えとしては 否。



      だけど  経営ギリギリでやっているのであれば 気持ちがわからなくもない。



      国から今後支援してもらえるかわからない状態で



      今後の生活・・・困窮するとわかっていて、そんな中で 


      もしかしたら他人に迷惑をかけるかもしれない・・・でも大丈夫かもしれない



      というところで 



      中止にするという選択は並大抵のことではない。



      いや、現実的に。




      でも  私だったら 踏みとどまるけれどネ。




      仮にピアノが出来なくなったら 歌でも歌うし 歌が出来なくなったら



      皿洗いでもなんでもする。




      生きるってことは そういうもんだと思っているから。



      生きることは 修行です。











      でも ここで思ったのは



      チケットの払い戻しのことについてなのですヨ。




      まぁ十万単位なら 購入者は痛すぎるけれど



      こういった誰のせいでもない「天災」的な事態なのだから



      チケット料金払い戻し出来ないということで了承してもらえる世の中ならいいのに



      ・・・・って思いました。




      個々が小さな痛みを負う。  これで どれだけ多くの人が救われるか。




      多分 そういう優しさのある世の中なら 主催も間違いなく中止と即決できたと思う。



      


      今は要求する世の中だから



      開催されなかったのだから 返せ!!となる




      いや 一見ごもっともなのだけれど



      イベントってのは  前々からいろんなことにお金がかかっているのですヨ。



      準備に借金から始まるという 


      事前に沢山お金がかかるのです。



      だから  



      例えばその主催者の不備や健康によって開催されないのなら



      責任として払い戻しはしなきゃでしょうけれど




      天災とか こういった国難に際しては 違うと思うのです。




      私の業界でいえば 例えばレッスンについてもそうですネ。



      月謝を払って  



      生徒さんの都合や天災で1日休んだから「その分返してほしい」なんて言われたら



      私なんかは この人大丈夫かな?って思います。



      でも私から この分はいらないよ!ということはあります。



      これはいわゆる 私からの好意ということ。





      今は 塾など 返金があるようですけれど




      レッスンの準備をして待っている、部屋を確保している、時間をとっている・・



      まぁ こういうことがわからない人が増えすぎているのです。





      これは日本だけじゃなくて



      世界的にもネ。




      「ご好意」という感覚がなくなり



      合理的でさっぱりした「やりとり」




      こういう感覚がなくなっているようでは 協力的な関係を持つことができないので



      つまりは 主に経済でしか 繋がれないようになってしまう




      これって悲しいことです。




      生きることは修行。



      でも


      心がなくなってしまうのは 修行から外れた行為です。









      



      さて 昨日はお昼に塩ラーメンが食べたいというので



      


     野菜を炒めて 野菜不足解消!



     


      夕飯も 野菜を沢山?



    


     チーズドリア?



    


    余ったケーキを完食?  ローソクアゲイン(笑)




    


    今日は お昼はハヤシライスがリクエスト。




    よし  今日も一日しっかりしよう!!