コロナショック。
一体どうなっていくのでしょうネ。
でも 今までの金融危機と違って 未知のウィルスってのは
人間に 「待った」をかけた ある意味で神のお導きです。
贅沢しすぎ、わがまま言いすぎ、自分のことしか見えなさすぎ
アメリカファーストから始まり 社会は自分ファーストになった。
自分を大事にするのは当たり前のことだけれど
「私が一番大事で 自分を優先にします」と
宣言してしまうことは
私から言わせると コロナショックよりも 終わっていると言いたい。
これは 昨日死刑判決が出た 障がい者施設の大量殺傷事件の被告と一緒で
人間として 終わっているということ。
これを罰するのが 法ならば
今悩ましいコロナは神からの罰。
良い人も悪い人も関係なく「人間」という括りということだ。
良い人はどんな時代にもいる。
だから 同じ「人間」という種類だからといって
まるで連帯責任を取らせられているのは酷だ。
でも 残念ながら 良い人は 割合として 確実に減ったと思う。
それは すべてを経済にシフトしたからだ。
教育の現場でも 株やマーケティング、就職に響く英語の必修化・・・
私が長年、再三このブログで述べているのは
便利は危険ということと 礼儀や教育は何よりも大事だということ。
そして これらを強化することで
世の中は確実にいい方向にいくと 今でも思っています。
中止になった発表会前に生徒さんに渡したものの中に
こう書いた
一見 嫌な先生だ。 嫌われてもいいと思っているからかもしれん。
教室では みんな常識のある人ばかりだから こう書く必要もないけれど
たまに怪しいナ・・と思うこともある。
これは社会に染まってしまってきている兆しと私は捉える。
だから そう思ったときに すぐに注意する。
わかっている人にも改めて感じさせる。
教室を出ても いろんなところで モラルが無い人になってほしくない。
月謝を渡されるときも 両手で持って 上下をきちんとしてもらう。
お子さんたちには そのように教えてきた。
今は引き落とし月謝も多いけれど 私は絶対に手渡し月謝を変えない。
なぜなら便利も礼儀も教育も これひとつで学ぶことが出来るから。
そう考えると
昔って だからみんなきちっとしているのだよネ・・って思うのです。
人のために我慢が出来るのですヨ。
これって 素敵なことなんだけれど 今は教える人が非常に少ない。
便利と礼儀と教育。
顔つきを見れば その人がどのように生きているかわかる。
自分も過去から学び 反省し
この先きちっとしていかなければと思う今日この頃です。
顔は証。
むき出しなだけに 恥ずかしい顔にならないよう生きてゆこう。
さて
昨夜は
好評でした(*´▽`*)
そして 今日から在宅勤務らしい・・・・昼ご飯も作らなきゃなのか・・・
が、我慢我慢・・・。