それにしてもどうなんでしょ?
世の中の変化について。
先日、炊事をしながら見ていた番組で
「現金はNGなレストラン」を紹介していました。
支払いは スマホ決済かクレジットカード。
だから お店にレジがありません。
しかし 私は これよりも このあとのことに衝撃を受けたのですヨ。
なんと 厨房にガスコンロが無い。
調理は特殊なオーブンで出来るとのこと。
一流シェフの作り方の情報がデータとしてSDカードに入っていて
それをオーブンに読み込ませ チンして出てきた料理が運ばれるのです。
最近は こんな系統のニュースが非常に多くて
私が違和感をおぼえるのは それをコメンテーターが
「やー。楽でいいですネ」とか
「便利でいいですネ」とか
賞賛する人しかいないことにあります。
私のような 否定派が一人でもいないのかと。
この件で言えば 一流シェフの味を手ごろな値段で楽に調理できるという
そこだけ見れば まるで夢のような話なのだけれども
そこだけしか見れない想像力の欠けた人間が多くなっていることに恐ろしささえ感じます。
現金で支払わないということは それだけ人との関わりが減ることなのです。
お札や小銭の感触をそれぞれが感じずにまるで契約のようなもの。
調理する人間もいりません。
一流シェフもデータを売るだけのプライドを捨てた商売人になってしまうのです。
15,6年前 某所で 世界的ピアニストの演奏を自動演奏で聴く機会がありましたが
あれは データであって やはりブーニンではありませんでした。
そんな人と人とが関わることが無くなっていっているこの世の中。
セルフレジに任せ、セルフガソリンスタンドにし、コストカットコストカットで なんの潤いもありません。
楽で便利でいいというのは
煩わしさをなくしてくれることに変わりはありませんが
煩わしさという 心に引っかかりを作る機会さえ奪ってしまうのです。
一方で 煩わしいことの中には 喜びや感動など生身の人間が感じることが多くあります。
そんな大切な生活の一コマ一コマを 自分が気がつかないうちに失われていくこと
心が動くということは
考えることに繋がるのに
考えることをしなくなるわけで。
今や
「今日は悲しい。私に合う音楽を流して!」と発するだけで
何万曲からデータを駆使して自動で流れる時代。
考えることも放棄するという。
でも 考えてみてください。
その曲 本当にあなたが聴きたい音楽ですか? と。