今ほどレッスン仕事が終わりました。

 

 

      これから夕飯タイムです。

 

 

 

 

      ですが 夕飯前に 今日生徒さんから頂いたお菓子を食べています↓

 

      

 

      山形県に行かれたお土産です。 教室の生徒さんたちに配り始めています。

 

 

     毎年この時期になると 

     入信はしていないものの 牧師さんの素晴らしいお話を聞きに山形まで行く生徒さん。

 

 

     私もその一端を聞かせて頂き  曲がった心を正しくされるような気がします。

 

 

     今日のお話の中で 一番心に響いたのが 「自分で考える」ということ。

 

 

     今は なんでもかんでも 1から10まで教えなくてはならない時代になっているので

 

 

 

 

     それを予め教えるのではなく 考えさせるという行為。

 

 

 

     これって大事ですネ

 

 

 

     そういえば この生徒さんが習いたてのときに

 

 

     「先生は指番号を教えてくれないのがいいですネ」というコメントがありました

 

     前の先生が全部教えてくれたとのことで ちょっとした衝撃だったようです。

 

 

 

 

 

 

     ちなみに

     指番号ってのは 親指を1としたなら 人差し指を2 、そして順に5番まで。

 

 

     ピアノを弾くときに この指番号が 結構命取りになったりします

 

 

     例えば 右手でド・ミ・ソを 順に弾くなら 1・3・5が通常ですが

 

     ド・ミ・ソのあとに ラがあったら  1・3・5のあとのラはどうするか?と考えるのではなく

 

     例えば1・2・4・5がいい場合があるわけですナ。

 

 

 

     このように 音楽的な指番号をと考えると・・・様々なパターンが曲によっては出てくるわけです。

 

 

 

     で

 

     そんなとき  私は予め教えません。

 

 

 

     というか  意図的に教えないのじゃなくて

 

 

     私が 「自分で考える」というふうに育ってきたから私にとっては当たり前だと思っていたんですよネ。

 

 

 

    いろんなことを試して 最終的に辿りついた指番号でも いとも簡単にあっさりと先生に

 

 

    「このほうがいいわよ」と変更されることも多々ありました

 

 

    でも  先生方は 最初に教えずに  私がもがいたあとに 答えを出すということがほとんどでしたヨ

 

 

 

    私は 今  それがどれだけ有り難かったかと 感謝しかありません

 

 

    自分で考えること

 

 

    これが いかに重要かは ピアノに限らずあるわけですナ

 

 

 

    

    子供の頃に遊ぶ物が無かった時代を生きた人は

 

 

    落ちている缶や まつぼっくり  欠けた食器  木の枝も 形の変わった石も

 

 

    遊ぶ物として  自分達で工夫し 想像創造し  心と頭と身体を鍛えてきたわけですネ

 

 

 

    

    

 

    自分で考えること

 

 

 

    間違うことも 大事ってこと

 

 

 

    出来るだけ 若いときに 沢山間違ってもがいたほうがいいと思う

 

 

 

    

    もう若くないのに まだ私は間違っているけどサ(^^;)