転換期真っ只中の世の中。



    


    戦後からまだ70年ちょっとしか経っていないのに 



    電話の形も急速に変わった。



    私が子供の頃は ダイヤルを回すものだった。



    つまりチリリリリン~♪っていう黒電話というヤツ。



    うちは色はベージュだったけれど まさにそれを使っていたし



    


    多分 東京ラブストーリーが流行った頃には「親機と子機」というものの電話になり



    高校生の頃にはポケベルが流行り



    そのあと PHSというものになり



    大学生頃で ガラケーが流行った



    私は ポケベルとPHSはスルーしていた人だったけれど 


    大学生になってから親元離れるということで ようやくガラケーを持つようになった



   


    そして私は持っていないが 今はスマホの時代となる





    たったの70年ぽっきりでこれだけ変わるのだから



    いろいろ変わっても仕方がない




    


    犬の便をきちんと飼い主が始末するのも昔は無かった



    誤って踏んだ人も 「ちぇっ 運が悪いぜ」となったものだ



    私が小学生の頃は 足が速くなる!というジンクスでわざと踏んだ女子もいた




    学校のトイレ掃除も生徒達がやったし 



    学校のお昼ご飯も食パンにハムチーズが挟んであるだけのシンプルなものだった





    だけど



    今は違う。



  


    この ある意味で水準の高さに 人は慣れてしまうと 



    ありがたみや 感謝の心って生まれるのだろうか?と思う




    


    その一方で 北のミサイルの訓練が新潟でもあちこち行われはじめている




    この2つのギャップが どうもなじめなくて 



    


    現代の違和感をきちんと把握して生活しなければなぁと思うのです





    


    今日のクミコさん(シャンソン歌手)のブログは 遠回しに警鐘を鳴らしていると感じて。





    政治家は 国民がバカになっているのを利用するのだと・・・


イタリアだけじゃないよね、きっと。。。

   


p>   


    


私の年代、これからの若者、子供達、、、、




    ちょっとしっかり考えるときかもしれません





    


    あの田中角栄は



    戦争を体験した人が中核にいるときはまだ大丈夫と。



    それがいなくなったときが怖いと。



    そんな感じの言葉を残しています





    自分が体験しなければ  人間は愚かだから わからないのよネ




    先日、地方紙を読んでて 有識者が




    行き着くところまで行かないとわからない




    って 言葉が ぐぐっと恐ろしさを感じました





   


    人間って




    人間って





    ああああ・・・・