やっと、ひと段落 | 自分を信じて進んでみたら...人生どうなるのかな
この1ヶ月ちょっと、
ここ数年でも珍しいくらいに忙しかった...
.....と思う。

“と思う” 
というのは、
過去の大変だったことは最近益々忘れて、
穏やかなことしか思い出さないから(爆)

心地良い記憶と辛い記憶を比べたら、
辛い記憶や嫌な記憶の方が、
圧倒的にインパクトが強いから
普通はそちらの記憶が残りやすいのだけれども、
その記憶はネガティヴな気持ちも生み出すから、
“思い返す”という事を反復して、
自分の中に更に記憶を留めないように意識するようになった。

そういう事を意識して繰り返していたら、
それが習慣となり、
自分の行動パターンの一部になった。

そして
その方が人生はシンプルで楽しい。
そうここ数年で実感している。

脳の中には海馬という部分があって、
新しい記憶は一時的にそこで記憶され、
整理されてそのあと大脳皮質にファイルされるらしい。
そして不必要な情報は、
そこで処理されるという事だ。

そういう意味では、
私の脳は機能が上がったような気もしている。

自分がどんなに努力したとしても
状況を改善できないことや、
精一杯努力したけれども変えられない事は、
仕方ない事とすっぱり諦めることにしているから。
自分一人で解決できる事は努力し続けるけれども、
相手がある事は自分だけの努力では
どうにもならないこともあるからね。
相手があっても努力をし続けるのは、
子どもとの関係くらいかな。

そして諦めたら、すっぱりと忘れる。
忘れるというよりも、
思い出すと不愉快だし、
それよりももっと自分に必要な事を優先して考える
という感じだ。

もちろん幾つになっても進化し続けたいし、
自分なりの人生を生きたいと思っている。
だからこそ、
今まで得てきた多くの経験から、
何が大事で、どこを修正しながら生きて行くのか...
そういう事には貪欲であり、
日々考えながら生きているかもしれない。

その貪欲な部分は、
自分の心の静寂さというか、
心の満足感をどう増やして行くのか..
そんなところだ。

大きな野望などでは決してない(爆)

ただ毎日穏やかな気持ちで、満ち足りて過ごす...
そんなささやかな事。
子どもと一緒に過ごすこの蜜月や、
自分が見るもの、考えるものを主体的に選ぶ。

自分に何かが起こっても、
それを傍観者的な立場で捉え、対処しいきたい...
そう強く思っている。
もちろんそれが、できても、できなくても、
そうありたいと願っているという事だ。

今の時点において
自分が行きたい方向は決まっているという事。

だから、
心を自分の望む状態に保つ。

例えて言えば、
心の状態を自分の望む状態に保っている事は、
酷い嵐の日に家の中に居て、
その嵐を見ている状況と似ている。

外の嵐は自分の周りで起こっている状況であるけれども、
自分は家の中に居てその嵐を傍観している。

心が安定して居ないときは、
外で嵐の影響をもろに受けていた状況だった気がする。

嵐の強さは変わらなくても、
受けるその影響は遥かに違ってくるからね。

実際、嵐を家の中から眺めるのは大好きで、
住むところがあって、
嵐から守られている状況にホッとする。
『家があってよかった』そういつも思うよ。

さてさて、
日々忙しさに追われ、
しなければならないことが多いときは、
こんな風にゆっくりものを考えられないから、
今日のように思考しているのは、
まさにひと段落という感じだ。

そして忙しかったけれども、
終わった後の充実感もあって、
ちょっと気持ちも晴れやかだ。

今日明日ゆっくりして、
また来週からトレーニング再開
といきたいたいところだ。