比較する事に意味は無く | 自分を信じて進んでみたら...人生どうなるのかな

人生を生きていると、

どうしてもいろいろな場面で
"比較する" という事が存在する。
勉強、仕事、幸福度、財産、慰謝料、不幸度、、、
 
でも、
人生って基本的に不公平なわけだし、
個々の能力も、考え方も違う。
しかも、運、不運だってあるのが現実だ。
 
で、その運、不運だって、
その時点では不運のように思っていても、
実は後々自分の人生にとってのチャンスだったり、
幸運だと思っていたことが、
不幸の始まりだったりすることもあるわけだ。
 
だから、
"分からない" という事が、
確かなことのように思うこの頃なのだ。
 
だからと言って、
ただ流されて何もしないということではなく、
自分の信じた道を潔く突き進んだのなら、
あとは、人生について、
少し諦めの気持ちも持つということかな。
 
頑張れば報われる的な考えは、
美徳な捉え方をされることが多いけれども、
現実はそうばかりではない
と言う事が事実なのではないのか・・・と。
 
そして、
救われようが、救われなかろうが、
今できること、自分の信じること、
自分の生きたい方向に気持ちを向ける。
 
そして、
結果がどうあろうと、
自分の思う道を進んでいったら、
諦めもつく。
 
そんな感じかな。
 
その信じることだって、
できる状況だって、
これまた個人差があるわけなのだから、
比較することには意味を見出せないわけなのだ。
 
できることは、
自分と向かい合って、
自分がどう生きていきたいのか?
どんなに時間がかかろうと、
自分なりの行き方を掴むことが、
人生という道に迷わない方法なのじゃないかと。
 
いや、迷ったとしても、
また自分で道を見つけ出し、
歩き出すことができるのではないか・・・とね。
 
いつも思うのだけれども、
自分自身に耳を傾け、
たった1度の人生を、
どう生きていきたいのかの答えは、
必ず自分が持っているのだろうと思っているのだ。
なかなか見つからないように見えてもね。
 
例えその答えが見つからなくても、
探し続ける気持ちをいつまでも持っていたいな。
 
そんな力が身についたら、
一人でしっかり生きていける。
そう思っているのも確かだから。
 
あの時に、
人生のどん底を見たわけだけれども、
それで終わりではなかったし、
そこを乗り越えたからこそ、手にできたものを、
今ではラッキーとさえ思うこともあるのも事実だ。
 
いや、世間一般で言う、
金銭的、安定的、平和的な意味の、
ラッキーでは決してないのかもしれないけれどもね。
 
でも、
心の平穏や一人で生きていく覚悟、手放す勇気、
そんなものを少しは手にしている状況は、
幸せな気もしているのだよ。
 
だから、私は
比較することに意味を感じていない。
そう言ういうことなのだ。