今日は…と言うか、最近お疲れ気味なので、
早めに夕飯を食べ、その後、夕寝をしてしまった…
気づいたら、10時半…
えっ!?って、ジ・ュ・ウ・ジ???と時間を疑うほど。
真夜中の2時とか3時に目が覚めることはあるけれども、
10時???
一体何時からソファーでウトウトしてしまったのか…
という事で、こんな時間にコンピューターに向かっている私。
でもね、正直言うと、夜中は好きだよ。
起きているという事、そのものではなくって、
こんな時間に起きている人はもちろん少なくって、
世の中の動きが、シーンとし、静かに眠っている時間に、
自分がだけが起きて何かしていると言うことは、
なんだか嬉しい。
ビールを片手に、いろいろなことを考える。
すっきり、嬉しいことばかりの人生ではないけれども、
それだって、死んでしまえばすべては終わり。
そういう終りがあるから、
”じゃあ、もうちょっと頑張ってみるかな”
なんて思うこともたびたびだ。
そして、頑張ってきた道筋があるからこそ、
”もうちょっと頑張ってみるかな”と思えるわけだ。
そして、深夜の時間は、
なんとなく、世俗的な気持ちから解き放たれる。
なんったって、実社会が眠っている時間だからね。
この世の中に、
どれだけの人が悲しみや、苦しみを
抱えて生きているのだろう…
どれだけの子どもが、親に支えられて生きているのだろ…
そんなことなどを、とめどもなく考え思考をどこまでも泳がせる。
決して他と自分を比較することには、
何の意味もないのだけれども、
やはり、人間の人生っていうものは、
理不尽さや苦悩にもまみれているという事も現実の一部で、
だからこそ、人間は人間的な心の美しさや、
人間としての愛を求めているのだ…
というところに戻ってきたりするわけだ。
そんなことは、程度の差こそあれ、
世界万国共通なのだろうなぁとね。
そして、自分の手元にいる子どもを愛おしみ、
この子の手を離さずにいる自分にホッとしたり、
この子どもを守っているという現実に
自分の人生の存在意味を見つけたり、
その寝顔に心から愛を感じたりするのだな。
世の中が活動している時間は、
どうしても、やることや、しなければならないことが多すぎて、
現実的なことばかりに
目が囚われてしまうことが多いのだけれども、
こうして、世の中の活動が止まり、
静かすぎるほど静寂な時間がやってくると、
心がとても落ち着くのを感じることが多いよ。
こんな時間は、自分の宝の時間だな。
夜更かしする日があり、それで一日眠い日があり、
早寝する日があり、爽やかな一日を迎える日があり、
時には深いストレスを感じたり、笑える日があったり、
親子であることをうれしく思ったり…
そんな当たり前のことの繰り返し自体が私の人生だ。
そんなことを時々思いながら、
2度と帰ってはこない明日と言う日を、
子どもと一緒に生き抜こうと改めて思うさ。
日常と、非日常、
こんな観点も持ちながら、明日もゆっくり生きていこうかな。