今日もきれいな朝!いいお天気!お味噌汁飲むと汗が出るよー、涼しくなり始めたとはいえ、まだまだ暑いのです(≧∇≦)
おとといの日曜日、父の法事で地元の岡山に久々に帰省しました。
父はわたしが30の秋のはじめに病気で他界し、今回が13回忌でしたので、もう12年前ということになります。
お寺で法事をして、レストランでちょっとした会食をして、家でちょっと休んで、弟に車を出してもらって、私たちが育った町の懐かしい道をドライブしました(今は実家は市内へ引っ越しているのです)
そして岡山駅でおみやげ選びにテンションを上げて(笑)、その日のうちに新幹線でフジファブリックを聴きながら名古屋に帰ってきました。
岡山も良いお天気で、良い1日でした。
悲しいも淋しいもありませんが、今朝ふとこんなことをおもいました。
自分がこの世とお別れしたあとは、どこのお墓にも私の骨を入れないでほしいな。跡形もなくできれば散骨してほしいな。(よく知らないけど)
お仏壇もいらなくて、拝んだりするのはお葬式のときだけでいいな、と。
なぜそう思ったかいうと、変な意味もひねた気持ちもなく、
こういうことなんです。
いま、生きているこの時間の中でやりたいこと、やれることを全力でやり切ったら、そのあとの世界に自分の痕跡を残す必要がないなって、お味噌汁飲みながらおもいました。この時間の中で、ギターと、お客様とのたくさんのこころ温まる時間を共有すること、おいしいお菓子を作ること、しっかり歩いたり、歌ったり、何かを作り出したり、そういうことを全力で大切にやりきれたら、もうそれでよくて、あとは宇宙かどこかに帰っていって、そのうち生まれ変わったりもするのかもしれないけど(ここは妄想)、私にとって、そういう「こころの入った体験や時間」が人との間で共有できたら、それで生きていた証拠っていうか、証拠さえいらないな、生きていた実感だから、それで十分だなって。
形やもので残らなくても、共有した時間や思い出はその人のこころの中に残って、その人を形作っていくと思うから、自分はちゃんと存在したことになるし、むしろ存在したかどうかさえよくて、確かに自分がありがとう、嬉しい、大好き、を誰かとの間で感じられて、それがしかもいろんな人との間で感じられて、いまそんな風に生きてるけど、それでいちばんいいんじゃないかっておもいました。
12年経つと考え方も変わるもので、今のこの気持ちは温かく清らかで強くしなやかだから好きです。
父のいい写真を見つけたのでこっそり写メとっておきました。いい顔で笑ってて、5歳くらいの私の手をつないでいて、私はなぜかふてくされていて笑えました。弟が反対側にいて、手に持った金魚の入ったビニール袋を嬉しそうに見ていました。ものすごく可愛かった(o^^o)父はそんな弟の頭に優しく手を置いていました。いい笑顔でした。
この写メもやがて消去するでしょう。
ああ、いい写真(o^^o)って思っただけで、
もう十分なのです。
そういうことなんです。(*^^*)
たぶん、今の私はものすごく幸せ。
岡山土産をきゃっきゃ言って物色したかったですが、新幹線の時間が迫って、ハタダの栗タルト買えなかった(あれは四国の土産だ)
でも、私が世界中のパン屋でいちばんおいしいと子どもの頃から思っていた「木村屋のパン」の「スネーキー」は買った!
私、パンをあまりたくさん食べられないので普段はほとんど買わないのですが、これだけは絶対食べる!新幹線乗ってすぐ食べました(爆)
今日もステキな1日に💖
