伊豆の国市の韮山は源頼朝が
島流しに去れた場所です。

ただ地元の人でも歴史に関心の無い人も多ぜい居ます。
歴史への関心は歴女と呼ばれる様な戦国武将の追っかけなんて女性や全く関心の無い人の両極端ですね。

頼朝の島流しにされた韮山の蛭が小島と呼ばれる場所で当時の狩野川の中州の様な場所だったといいす。
保元平治の乱で平家に破れた源氏の源義朝とその兄は殺されたが頼朝は平清盛の妻の池の禅尼が無くなった自分の子供に余りにも似ていたので清盛に殺さぬようにお願いしたといいます。
そして都から遠く離れた伊豆の蛭(ひる)ガ小島に流されたといいます。
その監視役として平家の豪族の伊東すけちかが当たってました。
頼朝はかって源氏の頭領の子であり、まさか百姓の子供と遊ぶ訳にはいかず伊東すけちかの息子と仲よくして遊んでいました。
伊東すけちかが京都に上がっていた間に
すけちかの娘と仲よくなってしまい子供まで出来てしまいました。
京都から戻ったすけちかは
激怒してこんな事が平家に知れたら大変な事になると子供は滝に沈めて殺し、頼朝も暗殺する計画をたてました。
その事を友達であるすけちがの子が知らせてくれたので、平家に属していたが近くの豪族の北条時政の館に非難してました。
ここで後の尼将軍となる北条政子と出合いました。
やがて伊東すけちかの怒りがおさまってきたので屋敷に戻りました。
韮山駅から蛭ガ小島まで1キロ位の幅の広い遊歩道があり頼朝のゆかりの絵柄のプレートが埋められています。

屋敷に戻った頼朝は
北条家の娘に恋文を送りました、
妹のほうだったが届ける人が間違って姉の方に渡してしまいました。
京都の女性だったら恋文を何回か交わして付き合うところを伊豆の田舎娘は舞い上がり1度で合ってしまいました。
困ったのは北条時政です、そこで政子を平家の代官であり伊豆の監視役でもある山木判官兼隆と結婚させる事にしました。
しかし祝言の晩に政子は逃げ出し伊豆山権現へと駆け込み頼朝と駆け落ちしました。
いくら平家の目代といっても常時抱えている兵は20名位で伊豆山権現には150名を越える僧兵がいました。
とても手が出せるものでは無かったといいます。

その頃、源氏再興の気運が各地で起こりました。平家の軍門に下っていた元源氏の一族に源氏の頭領である頼朝をもって旗揚げする計画が起こりました。
そして8月17日の三島大社の例祭の夜に頼朝の元に集結した兵により平家の目代、山木判官の舘を襲撃して旗揚げをしました。
話は長くなるのでこの続きの話は、またにしてね。

知ったかぶりをしている私ですがこんな本で得た様な知識です(^o^;)
こんな記事を長々とアップしていたのでは興味の無いライダーさんは私のブログから離れて行ってしまう気がしてきます(((^_^;)
また何かの機会にね。
島流しに去れた場所です。

ただ地元の人でも歴史に関心の無い人も多ぜい居ます。
歴史への関心は歴女と呼ばれる様な戦国武将の追っかけなんて女性や全く関心の無い人の両極端ですね。

頼朝の島流しにされた韮山の蛭が小島と呼ばれる場所で当時の狩野川の中州の様な場所だったといいす。
保元平治の乱で平家に破れた源氏の源義朝とその兄は殺されたが頼朝は平清盛の妻の池の禅尼が無くなった自分の子供に余りにも似ていたので清盛に殺さぬようにお願いしたといいます。
そして都から遠く離れた伊豆の蛭(ひる)ガ小島に流されたといいます。
その監視役として平家の豪族の伊東すけちかが当たってました。
頼朝はかって源氏の頭領の子であり、まさか百姓の子供と遊ぶ訳にはいかず伊東すけちかの息子と仲よくして遊んでいました。
伊東すけちかが京都に上がっていた間に
すけちかの娘と仲よくなってしまい子供まで出来てしまいました。
京都から戻ったすけちかは
激怒してこんな事が平家に知れたら大変な事になると子供は滝に沈めて殺し、頼朝も暗殺する計画をたてました。
その事を友達であるすけちがの子が知らせてくれたので、平家に属していたが近くの豪族の北条時政の館に非難してました。
ここで後の尼将軍となる北条政子と出合いました。
やがて伊東すけちかの怒りがおさまってきたので屋敷に戻りました。
韮山駅から蛭ガ小島まで1キロ位の幅の広い遊歩道があり頼朝のゆかりの絵柄のプレートが埋められています。

屋敷に戻った頼朝は
北条家の娘に恋文を送りました、
妹のほうだったが届ける人が間違って姉の方に渡してしまいました。
京都の女性だったら恋文を何回か交わして付き合うところを伊豆の田舎娘は舞い上がり1度で合ってしまいました。
困ったのは北条時政です、そこで政子を平家の代官であり伊豆の監視役でもある山木判官兼隆と結婚させる事にしました。
しかし祝言の晩に政子は逃げ出し伊豆山権現へと駆け込み頼朝と駆け落ちしました。
いくら平家の目代といっても常時抱えている兵は20名位で伊豆山権現には150名を越える僧兵がいました。
とても手が出せるものでは無かったといいます。

その頃、源氏再興の気運が各地で起こりました。平家の軍門に下っていた元源氏の一族に源氏の頭領である頼朝をもって旗揚げする計画が起こりました。
そして8月17日の三島大社の例祭の夜に頼朝の元に集結した兵により平家の目代、山木判官の舘を襲撃して旗揚げをしました。
話は長くなるのでこの続きの話は、またにしてね。

知ったかぶりをしている私ですがこんな本で得た様な知識です(^o^;)
こんな記事を長々とアップしていたのでは興味の無いライダーさんは私のブログから離れて行ってしまう気がしてきます(((^_^;)
また何かの機会にね。