自ら疑わずんば | ひだまり 日常生活

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『江戸開城』・・海音寺潮五郎著:新潮文庫
表紙に西郷南洲・勝海舟とあったので、
てっきり二人が主人公かと思っていましたが、
どうも勝海舟が主人公です。
半分くらい読んだところで気づきました。

現在、他国で体制派vs反体制派で内紛が絶えませんが、
この『江戸開城』のころもまさに
体制派(幕府側)と反体制派(官軍)のせめぎあいでした。

体制派が没落して反体制派が実権を握ると、
もともと、体制派に属してた人々はどうなるんだろうって。
仕事につけず、喰いっぱぐれたり・・・

だから、幕府側の志士も、
もういつ暴発するかわからない状況なんです。

そんな幕府軍の統制もせなならん、
官軍(西郷)との交渉もせならん、
将軍徳川慶喜をなだめなならんわ、
自分の身は危ないわで、
勝海舟の心理的負担はどれほど大きかったことでしょう。





英国大使パークスに
「徳川家はまことにお気の毒な境遇となったが、君はどう処置するつもりか」
とたずねられて、こう答えています。

「今、わが徳川家の諸臣には力量ある人がいません。力量があるであろう人は、或いは官位をうばわれ、或いは、蟄居謹慎を命ぜられていて、徳川家はこれを自由に使うことが出来ないのです。ですから、拙者は不肖にして力の足りないことを知っていながら、辞するわけに行かず、事にあたっているのです。これからの拙者には安全の道は絶対にないでしょう。一朝、変が起こったら野たれ死にする覚悟でいます。けれども、現在においての徳川家の希望はしかじかで、官軍大総督府参謀西郷吉之助との交渉の経過はしかじかでありました
p.184

胸に迫る言葉で、パークスも感動するはずです。





時は進んで、勝海舟が苦心惨憺して、
西郷との交渉を目前に控えたところで、
将軍徳川慶喜がおろおろして勝海舟の策を非難する場面

「なんという危険なことをするのだ。・・・そちの処置は甚だ粗暴で、大胆である。・・・とりかえしのないことをしてくれた。・・・」

これに勝海舟はこう答えています。

「おことばではございますが、恐れながらそれはおあやまりでございます。二月に絶対ご恭順をご決意ありました際、大事にお任じになる人がなく、拙者もまた微力にしてその任にあらずと申してご辞退申しましたところ、上様は無理に仰せつけになり、ついに今日に及んだのでございます。あの時、拙者は申し上げておきました。今日以後大難事または大変事になりましても、上言してご指令を仰ぐことは決していたしませんが、それをお認め願いますと。上様は、もちろんのことであると仰せでありました。それ故に、今日まで事情をご報告申し上げてご指令を仰ぐようなことはいたしませんでした。唯今、明日のことを言上いたしましたのは、上様のご心中を恐察し奉りまして、黙っていることが出来なかったためであります。本来なら、申し上ぐべきではなかったのでございます。拙者はあれこれと決して迷いはいたしません。拙者のずっと思いつづけていることはただ一つであります。それは江戸百万の民を殺すか生かすかということ、ただその一つであります。即ち義のあるところをよりどころとし、殺すべくば、共に死し、生かすべくば共に生きんと考えつづけていたのでございます。これによってことを決し、人事を尽くして成否は天にまかせているのであります。拙者の心中はこの極所にたって、一点の疑懼もありません。もし少しなりとも疑念が心中に生じましたなら、冥々の中大いに感触を生じ、迷走百出し、ついに初心を貫徹出来ずしておわるでありましょう。しかし自ら疑わずんば、貫徹しないことはないものです。歳月は過ぎ易く、人間のこころは安逸になれ易く、危を忘れ、難を厭うのが自然です。しかし、拙者はお誓い申し上げます。臣が胆識は今後十数年間は衰えないでありましょうから、いのちあるかぎり、必ずわが趣旨を貫徹いたします」

どなるがごとく、ののしるがごとく言って、席を立って、大慈院を出た。


p.209~210

すごい迫力です。

江戸百万の民を戦火に巻き込んではならないという信念があるからこそ、
「自ら疑わずんば、貫徹しないことはない」と言えるのですね。
自分に負けそうになるとき、
思い出したい言葉です。


雪割草がようやく咲きました!