ミリオンダラー・ベイビー」(2004・米)

監督 クリント・イーストウッド
脚本 ポール・ハギス

出演者
クリント・イーストウッド
ヒラリー・スワンク
モーガン・フリーマン

アメリカ中西部でトレイラー・ハウスに住むほど貧しい上に家族が崩壊状態にあり、死んだ父親以外から優しい扱いを受けてこなかったマギー・フィッ ツジェラルドは、プロボクサーとして成功して自分の価値を証明しようと、ロサンゼルスにあるフランキー・ダンのうらぶれたボクシング・ジムの戸を叩いた。

ミリオンダラー・ベイビーwiki



ずっと観るのを保留していたミリオンダラー・ベイビーをやっと観ました。
これはネタバレせずにレビューするのが難しいですね。
物語の核心がまさに重要なテーマなのですが、単なるサクセスストーリーではありません。

ヒラリー・スワンク迫真の演技


昨夜観終わってからずっと考えてるんですが、何が正解かが分かりません。
観ている時も、正直言うと脳が感情移入することを避けていました。
つまり感情移入してしまうのが、とてつもなく怖かったのです。
これも観ようとdiscasのリクエストに入れてるんですが、
「海を飛ぶ夢」(2004年・スペイン)でも同じように思い知らされそうです。
(その後、観ました。海を飛ぶ夢もよかったです。)

モーガンも沈黙の演技で考えさせる。


マギー(ヒラリー)の立場、フランキー(イーストウッド)の立場のそれぞれで
何とも言えない深い、重い、苦しみがあります。
味わいたくはない苦しみですが、それを知ること、知ろうとすることは大切なんだと思います。8点。

ということで以下若干のネタバレ↓ 今後観る方は回避推奨です。











現実のアメリカでは、蘇生不要の意思を患者本人が表す権利が認められている。
簡単に言うと、患者が治療を打ち切ってほしいと言えば、医師が生命維持装置を停止させても自殺ほう助とはならない。逆に、希望に添わず治療を継続させることのほうが処罰の対象になり得るのだ。そもそも治療拒否は自殺ではないという考えなのである。

そう考えるとこの映画のプロット自体の論理は破たんしているように見える。

もう一点、現実にあのような試合が行われたら、相手のライセンスは剥奪されて刑事罰を受ける可能性がある。
作中にあるような試合中の事故─のような扱いにはならない。

ただしかし、その2点はあくまで映画的な味付けとして見るべきかもしれない。
事実と異なるじゃないか、ということとこの映画は最悪だ、ということはイコールではない。

何よりこの映画の掲げるテーマは、
「これがあなただったら」
「あなたの大切な人だったら」
と考えさせることがその一つだろう。

自分の場合、自分がマギーの立場だった場合、
やはり尊厳ある死を認めてほしいと考えるような気がする。
しかしそれを大切な家族の荷物(呵責)として背負わせたいとは思わない。
となると、言い方は悪いが都合がよいのは、ちょうど良い距離間の他者にということになる。
医師であったり、親友であったりするのかもしれない。
日本でもどこまで認められるのか、線引きは本当に難しそうだが、そんな現実には向き合うことはないよとも言い切れない(事実、いとこが一時植物から回復した。現在加療中。)から難しい。

どこからどこまでが本人の尊厳を重視して、そしてどこからが生きるものの権限をはく奪する行為なのか。
本当に本当に、難しい問題だと思う。