キャンディーズにはじまる「アイドルの基本像」
あまりアイドルに関心がなくても、秋元康さんが率いるAKB48やつんく♂さんがプロデュースするハロー!プロジェクトくらいは知っている人が多いと思う。なぜ知っているのかというと、それらの派生ユニットを含めたグループそのもの、またメンバーの誰かしらが、連日連夜、テレビに出ているからである。
40過ぎの筆者が夢中になったアイドルと言えば、その代表格はキャンディーズだ。かわいくて、ユーモラスで、歌う楽曲もちゃんとしている。彼女たちがファンを想い、ファンが彼女たちを支える。もし「アイドルの基本像」があるのだとしたら、それを確立したのがキャンディーズなのではないかと筆者は考えている。
そのキャンディーズからはじまり、現在のAKB48にいたるまで、売れているアイドルの影には、売り出し中であったり売れていないアイドルも当然存在する。しばしば、テレビや雑誌で報じられたりするが、売れないアイドルの実態は悲惨な場合が多く、それを知るたびに「彼女たちはなぜ、そこまでしてアイドルにこだわるのか」という疑問が生じる。
売れても売れなくてもアイドル道はイバラの道
2012年5月20日の「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ)は、「アイドルの家~涙の数だけ抱きしめて」を放映した。なかなか売れないアイドルの実像を、仕事場と家庭に密着した上であぶり出していた。登場するのは2人のアイドルで、ひとりは酒飲みの父とフィリピン人の母との間に生まれた高校生のグラビアアイドル。もうひとりは、奈良の母子家庭で育ち、東京に通いながらライブアイドル(地下アイドルとも言うらしい)を続ける中学生。
高校生の方は、生活の糧を得ることが目的であるように見え、中学生の方は、本人の意図というよりも母親の意地が彼女をアイドルにさせているように見えた。ふたりとも、私生活ではそれぞれに苦難を抱えながら、売れるかどうか分からない状況の中で、アイドル活動を続けている。その生き様を見せつけられると、いろいろあるけど「どっこい、生きてるなあ」と感じたりもする。
しかし、筆者には分からない。売れなければ、まともなギャラなどもらえない。売れはじめたら、テレビの深夜放送やライブイベントなどに出演し、安いギャラでも文句を言わない。売れたら売れたで、街中は歩けなくなるし、デートもお忍びになるなど、プライベートがなくなる。それでもアイドルになりたがる女性が多いのは、なぜなのだろう。
若い女性をアイドルへの道に誘うのは、彼女らの向上心なのか、虚栄心なのか。功名心なのか、野望なのか。親が全面的にバックアップしている場合は、親の思いがそのまま子どもの活動に結びついていると考えられる。だが、自らアイドルを目指し、その道を歩み出そうとする女性の気持ちが、よく分からない。
アイドルへの道を否定するわけではないが、売れなければ悲惨だし、売れたらプライベートがなくなる。そのことを、彼女たちは事前に、どこまで理解しているのだろうか。もし、それを理解した上でアイドルへの道を歩むのだとすれば、ぜひとも彼女たちにはその理由を聞いてみたい。なぜ君はアイドルを目指すのか、と。
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