小学校の運動会の前は、いつも気持ちが落ち込んでいた。
両親は絶対に見に来てくれなかった。
理由は
「仕事があるから行けないに決まっている」だった。
問題は、お昼ごはんの時、校庭で食べなければならないこと。
昭和だからか、私が通っていた地区だけなのかは分からない。
校庭に、親たちが、大きな敷物を敷いて、三段重ねの重箱まで持って応援に来るのだ。
両親と祖父母まで来ているところもあった。
友人に頼んで、家族の和に入れて貰ったことがあった。
高学年になると教室で食べた。
先生が見回りに来て、「校庭で食べる決まりだから」と注意を受けた。
「親が来ないから、そう言われても困る。親が来ない子はどうしたらいいの?」と開き直って言うことができた。
運動会の時のお弁当は、決まって
おにぎり二個。以上。
みんな重箱で来てるのに、おにぎりだけ。
「おかずは?」と言うと、
「おにぎりの中に具が入っている、おにぎりにおかずがいるはずがない」
と言われた。
母がガンになって、そのことだけが理由ではないけれど、二十歳で家を出てから、30歳になった頃、家に戻って来た。
母の手伝いなどをしながら、近所でバイトをして、絵の学校に通っていた。
バイト先は、中華屋さんだった。
中華屋さんは、保育園から小学校に通う男の子が3人いて、共働きのバイト先のオーナー夫婦は、
子供の運動会や、イベントの度に、積極的にお店を閉めた。
「今しか見れないから」と言って、子供のイベントを優先していた。
同じ共働きでもこうも違うか、と思う。
仕事を休めないのではなく、休まないだけだったんだ。ウチの両親は。
父が子煩悩で、休むと言ったら、日曜日の一日くらい何とでもなったんだ。
前々から準備して、知らせて、「子供の運動会だから休むね」と言えばどうにでもなった。
どんなに淋しい思いをしたか、両親は知らない。想像すらできない人達なんだ。
旦那ちゃんと結婚して、家を出る時、母は死んでいたけれど、
少しまとまったお金を用意してくれていた。
「結婚資金に、と言って取っておいたけれど、なかなか結婚しなくて、結婚する前にお母さんは死んでしまった」と言われた。
あまり、嬉しくなかった。
日曜日の一日でどれだけ稼ぐのかは知らないけれど、
お金を取っておいてくれるのならばその代わりに、あの時の運動会に一日休みを取って来て欲しかったし、
クリスマスに、隣のMちゃんみたいにプレゼントが欲しかった。
洋服もお下がりじゃなくて、かわいい服が着たかった。
ストレスを子供への虐待で発散しないで、その分、仕事を減らして欲しかった。
ティッシュ 一枚無駄にした、といって殴ったりしないで欲しかった。
お金じゃない、お金で買えない、温かさが欲しかった。
父も母も、何のために働いていたのだろう。
お金を得ても幸せじゃなかった。
お金のために犠牲にした物が多かったのではないかと思う。
家を中古で買って、ローンを返すために働いて、返し終わっても働いて。
いつも忙しいと言って、子供のことは二の次三の次で、
気が付いたら、子供は親を見切って出て行って帰って来なくて。
愛情が無かったわけではないけれど、私が望む愛情の形ではなかった。
色んな言葉を探して、当てはめてみるけれど、しっくりくる言葉が見付からない。