ウチの家は床屋で、父が髪を切ったり、パーマをかけたりしている間、

 

母が顔を剃ったり、頭を洗ったり、その他のことをしていました。

 

小学校に上がる前、かなり小さい頃から、私達兄弟は、店の手伝いをさせられていました。

 

床に落ちた髪の毛を掃いたり、お店が終わった後、

 

「前流し」と呼ばれる、お客さんの頭を洗うところを、スポンジで洗うのが私の仕事で、

 

椅子を拭くのが、兄の仕事でした。

 

洗濯したタオルを洗って干すのも、子供たちの仕事で、

 

店が混んで遅くまでやっていると、当然後片付けの時間も遅くなり、

 

「こんな時間に子供たちを手伝わせて」と言って心配してくれるお客さんもいました。

 

お客さんがパーマをかける時、髪を包むペーパーとロッドと呼ばれるあの棒のような物と、髪とロッドを巻いた後にとめるゴムを、

 

ペーパー、ロッド、ゴム、の順に手渡すのも仕事で、その手伝いをするのと、しないのとでは効率が全く違い、補助なしの場合と、巻き終わる時間がまるで違う。

 

外で友達と楽しく遊んでいても呼ばれ、手伝わなければいけないのが苦痛でした。

 

日曜日は混むので、遠くに遊びに行ってはいけない、という決まりがありました。

 

パーマをかけるお客さんが来ると、外で遊んでいても呼び戻されるのです。

 

使い終わったあとのペーパーは、洗って手作業で広げて干して、繰り返し使います。

 

破れたら捨てます。

 

使い捨てのペーパーすらも、ドケチな父は洗って使いました。

 

使い捨てのものは、洗うと小さくくしゃくしゃになって、使い捨てでないものよりも広げにくく、仕事量が増えました。

 

ロッドを洗って干すのも仕事でした。

 

ヤングケアラーも問題になっていますが、このような自営の家の手伝いも、同じように問題になって欲しいと思うのです。

 

我が家では義務であり、喜んで楽しくやっていたわけではないのです。

 

もし、やらなかったら、「出て行け」「飯をくうな」「ウチの子じゃない」

と言われていたでしょう。

 

暴力で支配されていたので、やらないという選択はありませんでした。

 

「こんな小さい子を手伝わせて・・」と言って心配してくれるお客さんに対して父は、

 

「ウチは皆で稼いで、皆で使うんだ」と父が言っていましたが、

 

家を中古で買った時、

 

「この家は俺が買った家だから、俺がこの家の法律だ、気に入らない奴は出て行け」と言いました。

 

小3の時で、どうすることもできませんでした。

 

母は、店の仕事の合間を縫って家のことをしていましたが、父からよく

 

「1円も稼いでいない」と言われていました。

 

その頃の休みは、毎週月曜日と、第3火曜日でした。

 

休みは月に5日か6日。

 

その休みになると、父の飲み友達がやって来て、家で飲んでいました。

 

飲みに来ると、母がお酒やつまみを用意しなくてはならない。

 

母には休みが無く、

 

「私も休みが欲しい」とよく言っていました。

 

お父さんのことなんかほっておいて、一人で出かければいいのに。

 

そういうことができない。また、許されない。

 

 

母のガンの原因は、父にあるのです。