以外と多いみたいです。こんな悩み。
私は両親から虐待を受けて育ち、それが虐待と気付かないほど、暴力が日常に溶け込みすぎていました。
それ、虐待だよ、って誰かに教えてもらう機会がないと分からない。暴力が日常にあると気付かない。
だいたい、小さい頃、「虐待」という言葉を知らなかった。
性教育の知識がないと、性暴力に遭っても、それが何なのか分からないように、
暴力も分からないのです。
親戚の間では、「躾が厳しい家」として知れていました。
あれは、暴力であって、躾なんかじゃない。単に父親の支配でしかない。暴力で支配していたに過ぎない。
何が良いことで、悪いことなのか、全て父が怒るか怒らないか、が基準だった。
ある日は殴られるけれど、同じことをしても機嫌がよいと殴られない。良く分からなかった。
死ぬほど殴られた理由として一番くだらなかったのは、
「牛乳パックの開け口を間違えた」でした。
反対側から開けようとしてしまった。青くなった。きっと怒られると思った。
父は牛乳なんて飲まないのに、飲み終わったら捨ててゴミになるのに。
「誰がやったんだ」「何でこんなことをするんだ」と大声で怒鳴り散らしていました。
一生取返しが付かない、そんな怒り方だった。どうかしている。
まだ幼稚園に入るか入らないか、そのくらい小さかった時、
夏の早朝これから暑くなる、その前の澄んだ涼しい空気の中、
父が
「気持ちの良い朝だな」と言いながら、両手を上げて伸びをしました。
私は、心から本当に気持ちの良い朝だ、ということを感じながら、
「そうだね~」と言って、同じように大きく気持ちよく伸びをしたところで、
頭に拳骨が振って来ました。
激痛と、何が起きたのか、何が悪かったのか分からないでいると、
父は、
「”そうでございますね”って言えといっただろう」と言いました。
今でも、父が取った言動が、理解できません。
オンボロの狭いカビ臭い借家に住んで、何が「そうでございますね」だよ、と思います。
もし、そう言って欲しかったら、見本を示して、
「気持ちよい朝でございますね」と言うべきだ。
気持ちよい朝は、台無しになった。
あの時と同じ、気持ちよい朝を向かえると、その殴られた記憶も一緒に付いて来る。
死んだ母にも言いたいことは山ほどある。
あるけれど、あんなにクソババァだったのに病気になって、病気が進んで死期が近づくと、
天使みたいになっちゃってズルいと思った。