リブログさせて頂いた「こんな介護は嫌だ、の続編」を読んで、

 

友人の医師が、看護婦長という仕事の役目を担う人の話をしてくれたことを書いた。

 

「元々は、心ある誰よりも気が利いて、仕事ができる看護師なんだ。看護婦長は管理職だから、心ある対応とかしていると、処理できない問題が出てくる。

 

感覚を麻痺させて機械かロボットみたいにならないと、こなしていけない。それで皆あんな風になっちゃう。中には人間らしい人もいるかもしれないけれど、それだと辛いだろうね」

 

そのことについて、友人に、

 

話してくれたことと、私の受け取り方にズレが無いか聞いてみた。

 

ズレてなかった。そして続きを話してくれた。

 

友人 「患者と体制と医療に殺されるんだよね。〇〇(隠語・医療機関に軽症のことですぐに頼ろうとする人、患者として相手にしたくない人を指す)が多いし、心を閉ざして殺さないと、こなしていけない。自分が殺される」

 

と話してくれた。

 

私 「一人に対して処理できる範囲を超えた仕事量、重圧がのしかかる。ひとりひとり丁寧に、なんてできない。」

 

友人 「でも、看護師はナイチンゲールの教えを刷り込まれていて、どんな人にも優しくしないといけない、ということになっている。」

 

私 「でもその頃は、〇〇がいなかったかも知れないよね」

 

〇〇は、院内でも呼び方はそれぞれだそうだ。

鼻血が止まらない、湿疹ができた、インフルエンザの薬を貰ったけれど、昼に飲んで、夜になったけれど熱が下がらない。酔っぱらっているだけとか。

 

救急搬送されて来たり、時間外で自分の足で来たりしても、本当に医療機関を必要とする患者と呼ばれる人が少ない現実。

 

中には、朝を待って普通に受付をすると待たされるから、といってわざわざ救急車で運ばれる、という人もいる。

 

深夜に近所に救急車が来たので、バッタリ会った時に、「大丈夫でしたか?」とお聞きしたら、残念ながらそんな返事だった。

 

それらを受け入れる体制。

 

どんな人にも優しく?