おはようございます。
風水師の圓山(まるやま)真央です。
最近はスピードが命⁈とばかりに
メールやLINEなどでのやり取りが常。
年賀状は別として
手紙やハガキを手書きすることが
極端に少なくなってきたせいでしょうか。
ようやくやってきた機会にも、
変換キーの付いていない60代のこと、
書き始めたはいいけれど
漢字がすぐに出てこなくて
スマホで確認する羽目になったり…。
便利な生活に慣れすぎて
読めてもすぐに書けない漢字が増えました。
絵てがみという素敵な手段も
絵心も感性もまったく足りないので問題外。
折に触れて買い求めた
お気に入りの便箋や封筒も
なかなか出番がありません。
せっかくの機会を逃すまじと、
ちょっと残念な思いを抱えながら
スマホを辞書がわりに苦心しています。
言葉の力は大きいだけに
むずかしいですね。
年齢見合いの物忘れは別として
義務教育だけでも9年は学んだはずなのに。
思いがちゃんと伝わる読みやすいものかどうか
分かったらいいのに…と考えたところで、
子どもの頃のことを思い出しました。
お習字の時間が苦手でした。
今のように個性的な表現が認められていない
昔のこと。
習い事として学ぶ子どもも多かったのですが、
授業で先生が入れる朱色の添削に
苦手意識があったせいで、
兄弟の中でひとりだけ通いませんでした。
大人になったら今なら
基礎を学ぶことの大切さは分かりますが、
当時は年齢1ケタの児童です。
授業の際、教科書のお手本と違うのに
自信満々⁈に上書きされる朱色の文字には、
否定されているみたいで違和感しかなかった。
私の字は上手くはなかったけれど、それでも
ものすごくヘタでもない初心者レベル。
加えて、用がなければ口を開かないほど
口数の少ない人見知りの子どもには
「えーっ、先生のなんか違う」
なんて言えるはずもなく…。
お習字の時間が苦手になりました(笑)。
もしかしたら、
全教科教えなければならない先生自身も
お習字の時間は苦手だったのかも⁈
どうしてそんなこと思い出したのか…?
久々に手書きしたせいかな⁈
昔の記憶って不思議ですね。
前触れもなく甦る。
ゆっくり、間違いのないように書いた手紙を
もう一度読み返して封をしました。
受け取った相手が
心の中で朱色の添削しませんように(^_^;)
今日はお彼岸明け。
元気出していきましょう。
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