こんにちは![]()
今日は何を書きたいかというと
結論から言ってしまえば
生き方の選択=死に方の選択
だなぁ、、、とつくづく思ったのです、ということ。
私の父の闘病状態や最期にも触れますので
もしかしたら
気分を悪くされる方もいらっしゃるかもしれません。
あらかじめご承知おきいただくか
ご遠慮なくここでお読みくださるのは終了くださいm(_ _)m
友人のお父さんが
これからガン治療に取り掛かることになりました。
信頼できる医師のサポートもあり
安心して治療をスタートできるそうなので、
話を聞いて安心して昨夜は帰ってきた次第です。
とにかく、お父さんの完全復活を
心から応援するばかり。
一方で、
私の父はガン闘病の末に亡くなっています。
とっても筋肉隆々で年齢の割に
若々しかった父が
抗がん剤治療の回数を重ねるにつれ
色がどんどん白くなり(元々が色白なんだけど)
体や指がどんどん細くなり
抗がん剤十数回でもがん細胞は消えてくれず
造血幹細胞移植という最後の望みにかけても
彼の体はもう戻ってきませんでした。
人格も。
ただただ高熱に耐え、朦朧としながらも
何かにしがみつくように過ごしました。
父本人だけでなく、
母も兄も私も。
そんな状態で一ヶ月半が経ち、
抗がん剤開始からは約10ヶ月経ち、
父の起きようとする気力すらなくなったとき
医師から私たち家族が選択を迫られました。
「延命装置をつけるか
これまでの投薬をやめて少しでも意識を保つか」
・・・・
グチグチは嫌いで
竹を割ったような健やかな人だったので、
それまでの姿ですら傍で見てるのが辛いのに、
管に繋がれて言葉も出せないような姿を
私がこれ以上見たくなかったんだと思います。
呆然とする母と兄を差し置いて、
延命装置はつけないでいいよね、と私が言葉を発したような気がします。
(今でも、いつまでも
私はこのことを忘れられません、
ほんとによかったのか。。。)
でも
父の最期の最期は、私たち家族と
駆けつけてくださった知人に囲まれていたことが
今はじめて恵まれていたように思えました。
それは、友人のお父さんのことがきっかけで
ネットサーフィンしちゃってたら
この記事を見つけたから。
どんな風に生きたいか
と
どんな風に死にたいか
を大事な人と、『両方』共有しておくことは
ほんとうに必要なことだと思いました。
それは
後に残された人が
余計な?不要な?
後悔を抱かずに済むのではないかと。
(偉大なる自己満足ですね
)
大事な人がこの世からいなくなったら
誰でも後悔を感じずにはいられないと、
私は思います。
でも大事な人の命をコントロールすることなんてできないし
せめて
自分の命を尽くし切る。
そのために、こんな生き方をしたい・しよう
と大事な人たちの命の終わりを通して
私が得られた貴重な意志。
これに今日は、
「こんな風に死にたい」を
大事な人たちには伝えておこう。
と思ったのでありました。
皆さんが
「今」を大事に想える毎日でありますように![]()
