続 「アフリカから学ぶ」
きのうの続きでちょっと気になっていることがあるので、言っておこうと思う。
経済学者で『最底辺の10億人』の著者ポール・コリアーは、その続編となる『民主主義がアフリカ経済を殺す』という刺激的な題名の著書も出している。読んでないので内容は知らないけれど、原題「Wars, guns and votes - Democracy in Dangerous places」と云うもので、内容を想像すると、先進国の人たちが一般的に考える民主主義をそのままアフリカに適応して良いのかという問題提起をしているのだろう。
「アフリカから学ぶ」のなかで、何人かの筆者は、アフリカに多くの国が独立後に採用した一党独裁制をその後の腐敗構造や地域紛争の原因と考え、出発点で一党制を採用したことが元凶であるかのように捉えているが、そもそも、なぜ独立時に一党制を選んだかという歴史的経緯が分かっているのだろうか。
後になって、結果的に国家権力の政権中枢にいた少数の人たちがやりたい放題をやって破綻へ導いたかも知れないが、アフリカにはアフリカなりの民主主義があるのではないかということを考えていた独立時の指導者は何人もいて、ケニア独立後に初代大統領に就任したケニアッタは、1940年ころに留学先の英国で「Facing Mount Kenya(ケニア山に向えて)」というのを著し、列強が線引きをした国境内に多くの部族を抱える「国」が多数政党制の民主主義を採用すれば、それは政党制の名を借りた部族抗争になることを確信し、一党制を採用すれば、個々の選挙区内では党員であれば誰でも選挙に立候補するという方式を考案した。
この方法で選挙をすると、中央政権内では多数派になれなくても、ある地域限定で圧倒的多数の集団の支持を得る人物が選出され、結果として地方の少数部族でも代表を国政に参加させることができるようになる。
実際に、独立以前のケニアには、最大部族のキクユ族が中心のKenya Africa National Union(KANU)と云う政党と、ケニア西部の一大勢力ルオ族を中心としたKenya Africa Democratic Union(KADU)と政党が対峙し、また、カンパ族にはポール・ゲイという強烈な個性の独立運動指導者なども政党設立準備をしており、状況はケニアッタが若い頃に危惧していた通りになっていて、独立にあたって対抗勢力も政権内に取り込むようにして一党制に収れんして行ったという経緯がある。
2007年末の総選挙後の混乱は、まさにあの時の予想が、その後多数政党制に移行した与党sv野党という図式の実態は、部族A.vs.部族BCD.ということだったということを見せつけてくれた訳だ。
「アフリカにはアフリカのやり方がある」というのは、政治に限らずいろいろに機会に見られ、多少なりとも彼らと関われば実感できることなのに、そこを先進国の基準だったり、日本の常識だったり、「オレの考え」を押し通すと、時に痛い目に会う。
もうひとつ。「アフリカから学ぶ」のなかに、なぜアフリカ人は自殺しないのかという、一見「That's a good question!」と受け止められている提起と、「それが人間力だ」などというなんとなく情けなくなる見識へのコメントは、また後で。