HarambeeとNyayo | Hardnutのブログ

HarambeeとNyayo

HarabmeeとNyayoの説明を加えておきます。


Harambeeはスワヒリ語で同胞・仲間と云う意味だが、ケニアの初代大統領Kenyattaは演説の最後で「みんなで助け合って建国を進めよう」という意味を込めて「ハァラァーンベィ!」と絶叫して締めくくった。これはたとえば、村民が少しずつお金を出し合ってその村に学校を作ったり、お葬式の費用をみんなで小額ずつ出し合って助け合う行為も「Harambee」と言われるようになり、寄付行為(Donation)もHarambeeと呼ばれるようになった。

実際に、独立後短期間に多数の学校を全国各地につくるには政府・地方自治体には予算がなかったので、このHarambee方式で学校が多く作られ、教師もなかなか雇えなかったりしてので日本からの海外協力隊員の多くが理数科教師・裁縫教師などとして活躍した。もちろん今でも多くの理数科教師隊員がいると思う。

言葉は拡大解釈され、お金を無心する際にもHarabmeeとなり、警察官が交通違反を指摘して見逃してやるからその代わりに「Harambee kidogo(少し)」となったりした。賄賂を表す言葉は一般的には「Bukusisi」「Chai」などインド中東と共通語で、比較的新しいところでは「TKK」と言った。意味はスワヒリ語Toa kitu kidogi(ちょっと取りなさい)の略語である。


Kenyattaが1978年に逝去し、当時副大統領だったMoiがそのまま大統領に就任した。

Moiは建国の父Kenyattaを踏襲しますと云う意味で「Nyayo(スワヒリ語:足跡)」ということを事あるごとに協調し、「Nyayo Philosophy = Peace, Love and Unity」という標語をかかげ国民に団結を訴えた。

Moiが行くところ、人々は人差し指を高くかざして左右に振りながら「Nyayo! Nyayo!」と連呼して迎えていた。

二代目大統領に就任してからしばらくはスムーズな滑り出しだったが、政敵を蹴落とし政権基盤を固め始めた80年過ぎから様子が変わりだし、政権が長期になった90年代からは汚職も日常化し、「Nyayo」も死語となり国全体が殺伐としていった。


三代目、現大統領Kibakiは最初は「Working Nation」などと標語のようなものを掲げようといたが全く盛り上がらず、結局、今は国民へ投げかける標語のようなものはなくなってしまった。