いざ、南アフリカへ
岡田ジャパンがW杯南ア本選出場を決めていよいよ来年の本番に期待がかかる。感慨深いものがある。
反アパルトヘイトの闘士ネルソン・マンデラが釈放されたのは1990年2月11日だった。
はっきりと日付を記憶しているのは、その政治的意義の高さを認識していたからとか云う高邁な理由ではなく、そのとき盲腸手術の後でナイロビ病院に入院していて、日本の建国記念日の日にそのビックニュースがケニアまで大きな波のように押し寄せ、さらに乾季の真っ只中の暑い病室まで届いたからだ。
あれは世界の大きな流れと呼応していたのだろう。
80年代中盤からソ連のペレストロイカ、ベトナムのドイモイ、そして東欧の民主化の動きに合わせて天安門事件が1989年6月で続いて11月にベルリンの壁の崩壊。そして年が明けてマンデラの釈放となった。
南アは超スーパースターの復帰で国がまとまり、釈放後はデクラークと協力して1994年4月に初の全人種参加選挙が実施され、その後マンデラが黒人初の大統領に就任と当然の動きとなる。
マンデラの釈放で他のアフリカの国々でも民主化運動に弾みがついて複数政党制と自由市場経済体制へと動いて行く。
ケニアでも1991年7月7日がSaba(7) Saba(7)民主化要求市民集会だった。
ケニアの初代大統領Jomo Kenyattaは、多数政党制はアフリカには馴染まないとかなり早い時期から一党制を主張し独立とともにそれを実施していたけど、ついに1992年暮れの総選挙から多数政党制が導入された。
マンデラ釈放から20年の後に、南アフリカ共和国でアフリカで最初のワールド・カップである。
みんなW杯の成功を最優先に考えるから、とりあえずは黒人3代目の大統領Jacob Zumaを支えて来年のW杯開催となるだろうが、大変だろうなぁ。