アンデルセンの『裸の王様(1837年の童話集)』は、「この布地はバカ者には見えません」と騙された王様が、その「衣装」を着たつもりになって裸のまま民衆の前に出たところ、子供に「だけど、なんにも着てないよ!」と言われて民衆は事実を知るのですが、王様のパレードは続いたと云う話です。

 ぞの原作とされるフアン・マヌエルの『ルカノール伯爵(1335年)』は、王室の富を増大させる事にしか興味のない王様(伯爵?)が、これは「王様の実子以外(姦通から生まれた子)には見えない衣装です」と騙され、その衣装を着たつもりになったのですが、王様の馬丁をしていた黒人が「王様は裸だ!」と言った話のようです。当然その黒人は「王様の実子」では無いので、見えなくて当然だと思いますが、原文を見た事が無いのでその趣旨は良く分かりませんww

 テレビとうさんの『民族衣装を着たオバサン(2023年)』は、「民族衣装を着れば、その民族に成れる」と信じたオバサンが、他民族の衣装を着て国連に出かけ当該民族の主権を主張したところ、真実を知っている女性が「だけどコスプレおばさんだよ!」と言った事から保守派(戦後ホシュは除く)は事実を知るのですが、サヨクは「コスプレ」の意味が分からずその女性を非難し続けたと云う話ですww

 「コスプレ」の意味は、ウィキを要約すると、

① 時代劇や歴史劇の事(Costume play)。
② 衣装だけは立派だが内容が伴わない芝居を揶揄すること。
③ 漫画やアニメなどの著名なキャラクターに仮装すること。
④ 性的ロールプレイ(sexual roleplaying←検索注意ww)。

です。当然ですが、ここでは②の「衣装だけは立派だが内容が伴わない芝居を揶揄すること」で、(立派な)民族および民族衣装を揶揄したのではなく、「オバサンの演技を揶揄」したと云う意味です。

 この原作である当時民間人であった杉田水脈(現衆院議員)のブログ『民族衣装のコスプレおばさん(2016年)』は、現在削除されていて確認することが出来ないのですが、所謂「LGBTの生産性問題」と同様に、その意味を理解すれば何の問題も無い発言です。

 

 


生産性(経済学:せいさんせい) ;物を生み出す効率の大きさ。
生産性(生態学:せいさんせい) ;有機物(バイオマス)の生産能力。
生産性(生物学:しょうさんせい);(子孫を)出産する能力。

 「コスプレの意味②」では、衣装は立派である事を意味しているので、

チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。(囲まれてしまいました)。完全に品格に問題があります

 

 


は、韓国やアイヌの「民族衣装は立派」であると認識していて、民族差別とは言えません。但し、内容が伴わない「おばさん」を個人的に揶揄していると理解できる事から、例えそれが事実でも、個人に対する人権侵犯の可能性は残ります。

 例えば、高校に通った事が無い私が高校生のコスプレをした場合に「高校生のコスプレをしたおじさんまで登場。完全に品格に問題があります」とブログで公開するのは、人権侵犯に当りますww。その時に、常識で考えると「高校や高校生・制服」を揶揄していない事は明白です。

 但し、最終学歴が高校の人をバカにしている人ならば、高卒を揶揄していると理解するかも知れません。なにせ、大概の弁護士や法務局の人は学卒ですからww