ロシアが主張する「(対宇)特殊軍事作戦」を、日本では「ウクライナ戦争」と言います。ここで「(対宇)」と書いたのは、プーチン大統領がウクライナ対して仕掛けた作戦なのか、ロシアによる欧州や米国に対する作戦なのかが分からないので、取り敢えず( )付きで書きました。

 本来は、外見上は「ロシアによるウクライナに対する侵略戦争」なので「露宇戦争」と言うべきですが、ウクライナ以外には戦渦が及んでいない事から「ウクライナ戦争」と言えなくも有りません。

 「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」は、その上層部にソ連(KGB)からの工作資金が投入された「政治集団(組織)」だったようですが、参加した「マジメ集団(一般市民)」は純粋に「ベトナム戦争」に反対していたようです。「ベ平連」自体が統一された組織では無いことから、その中には「インチキ市民(国籍不明者など)」もいて、「自称ベ平連」が乱立し、市民活動と言えるかどうかも分からなくなりました。

 それは兎も角、当初の「南北ベトナム戦争(内戦)」は「ベトナム戦争」の呼称で問題は無いのですが、米国による北爆が開始されてからも「ベトナム戦争」と言い続けるには違和感があります。

 「ウクライナ戦争」と同様に「ベトナム戦争」では、歴史の一部になった時に北ベトナムの敵が分からなくなります。軍事支援は別にして、「北ベトナム・ベトコン」と戦っていたのは「アメリカと韓国・オーストラリア」です。戦争指揮権の有る二ヶ国を冠して「米越戦争」と書くべきです。

 これに似た戦争が「太平洋戦争」の直前に有り、「日中戦争」と呼ばれています。

 「中山 樵(なかやま きこり):孫文」は、日清・日露戦争に勝利した日本に憧れ、「満州人による植民地から独立し、支那人による独立国を建国したい」との思いで活動しましたが、方や、ソ連の支援で力をつけてきた毛沢東との間で「国共内戦」が勃発しました。

 この時の日本は「汪兆銘政権」を支援していましたが、内戦を煽った「ソ連・米国」によって「日中戦争」に突入する事になりました。

 「日中戦争」とは言っても、戦場は「支那大陸」のみで、日本本土には戦渦が及ばなかった事から、「ベトナム戦争」や「ウクライナ戦争」の例から、「中国戦争(或いは支那戦争)」と呼ぶべきですが、何故かミギやヒダリの旦那様は「日中戦争」と言います。

 第二次大戦後の戦争名に「アメリカ」「ロシア」の国名を入れないのは、戦争当事国でも戦争名に国名を冠しない事で「平和国家」であるかのように誤認させる狙いがあるのかも知れません。

 但し、「日中戦争」の場合は、名実ともに「中国戦争(或いは、拡大支那事変)」が正しいと、私は考えています。