内発的報酬
場合によってはいかなる報酬も伴わないのに、その人内部にこみ上げてくる喜びや楽しさ。
未来において期待できるどんなに素晴らしいと思える要素にさえ執着することなく、今現在が既にその人にとって報酬である、または喜びであるとあくまでも自然に感じることができる時、人は幸せなのだと思う。
恐らく当の本人にはその自覚さえない。
「○○○が△△△になれば幸せ」
とか
「今○○○が□□□だから不幸」
という思考の先に幸せはありえない。なぜならその条件が達成されたところで、その思考様式では常に「条件付き」の幸せを追い続ける習慣になっているからだ。
ところが、フロー状態にあるとき、未来にも当然幸せは待っている。しかし現代社会で誰もが常にこのフロー状態になれるわけではない。ではどうしたらいいか。
それは意識的に無条件に今現在を「幸せ」と思う。決して無理矢理ではない。小さな幸せを見ようと思えばいくらでもある。
しかし・・・この考え方はある程度健康であるという条件の上に成り立つというもろさを否定できない。
マズローの5段階欲求説にも近いものがあるが、人間の満足には段階があって、
(1)身体的満足 (食べもの、お酒、セックスなどなど)
(2)頭の満足 (頭で追い求めたもの、地位、お金、名誉、などの「外発的報酬」)
(3)心の満足 (外部からの評価や賞賛を必要としない、喜びや楽しみで心の底まで満たされる状態)
(4)魂の満足 (自意識の満足を超え、超意識・真我の満足、至高体験など)
という具合に深まってゆくという。
それにしても、残念ながら今の日本社会では学校でも社会でもある程度の「報酬」を条件にした動機付けを当たり前にしているように思える。
だからこそ、そうではないものの見方に目を向けるのも大事だと思う
