街と野獣。

▼『野獣狩り』はストーリーだけ追えばそれほど驚くような面白さは持っていない。映画の背景に絶えず流れるのは繁栄を甘受し他人には無関心な人の波である。それを掻き分け突っ走るのは刑事藤岡弘。街に潜り込んだのは、もはや時代遅れの遺物と化した反政府の若者たちだ。街のノイズに掻き消されたのか、彼らの声は虚しいくらい観客には響いてこない。多分それがその当時の空気なのだろう。『野獣狩り』は政治運動が終焉を迎えた時代背景がとても重要だ。無数の顔や声を呑み込み無感動に膨張する街そのものが真の主役なのだ。▼この時代の空気を切り取る木村大作のカメラワークは、そのアグレッシブさがドラマの情感すらその時代の背景に押しやってしまった気がしないでもない。アフレコ撮影もあって登場人物への感触は少し遠く、手触りの感覚が薄い。結果藤岡弘と伴淳三郎の親子の情、恋人渚まゆみの愛は乾いて映っている。ドラマが排除されたと言ったら言い過ぎなのだけど、 月並みなドラマは木村の疾走するカメラの前では吹っ飛んでしまう。しかしだからこそ本作全く古びず鮮度を保っているのだと思う。木村大作のカメラワークなくしては、今日の『野獣狩り』の存在はありえない。▼オールノーライトの手持ちカメラ撮影はアバンギャルドと言っていいくらい呆れるほどの凄まじさだが、その為か野外の夜間のシーンは少ない。昼間の雑踏の喧騒はあっても、夜の闇に牙が剥くフィルムノワールの煌めきここにはないのだ。本作と同監督、主演、撮影の次回作『野獣死すべし 復讐のメカニック』でそれはこってりと描かれる。しかし、皮肉にもその作り込み感ゆえに『野獣狩り』の方が圧倒的に古さを感じさせないのだ。つまりリアルなのだ。▼ジミヘン風ワウワウギターがフューチャーされた村井邦彦のジャズファンクの劇伴によってを炙りだされる街の不穏な空気だ。この映画の息吹であり、 それは追う者と追われる者の焦燥感に他ならない。焦る心は藤岡弘の恐怖心を押し殺させ、ビルの間を跳び越え駆け回らせる。そして、それはゲリラたちに仲間も己にも止めを差させるのだ。ラスト、フォーカスを送っていた藤岡がフレームアウトすると描かれるのはピントのない輪郭のない世界だ。これは一件落着の平和の世界観ではないだろう。焦点が定まり新たな脅威が現れる不安が確実に存在していると思う。それもまた、この時代の空気のリアルなのだろう。