原作では「ルーガーP08」
▼1994年公開当時劇場で観ている。同時上映の
井筒和幸のあまりにもひどいクソ映画『罪と罰』に比べれば、正に月とすっぽんの出来なのだが、半分Vシネマ的な立ち位置であるため今回改めて映画として見れた気がする。▼砂に埋もれたルガーP08が砂塵によってその姿を現すオープニングの禍々しさは今なお新鮮である。偶然にルガーを手に入れた主人公阿部寛は都市型暴力に対峙し、その渦にのまれていく。阿部の熱量が低予算B級アクションをワンランク上のものへ引き上げたと思う。▼平凡な男のなかに眠る内なるものを覚醒へ導くものは、ルガーP08に他ならない。阿部寛と中島宏海との会話。中島「追われるのの?」阿部「俺が追ってるんだよ」中島「誰を?」阿部「追ってるうちに見えてくる」中島「見えないうちが花かもしれない」見えないものを追い求める。空虚な心の隙間を埋めべく彼はルガーを握らなけばならない。▼そんな阿部とルガーを一体化させるようなガンアクションの拘りの描写が光る。銃身をスピンさせ素早く銃口を移動、銃撃するテクニックが鮮やかだ。クライマックス、自由自在にルガーを操る阿部の姿は鬼神のようですらある。一つしかないマガジンを膝の裏で固定、補弾しながら薬室の弾薬で応戦、片手でリロードのトグル操作までやってのける様は圧巻で、古今東西これほどルガーを魅力的に描いた映画はあるまい。▼おそらくルガーを意図的に手放し、そのルガーによって自分を射たせたのだろう阿部の最期。その死に顔は穏やかだ。磨き上げたテクニックを実践し彼の魂は充たされたのだ。殺人の罪で罰を受け殺されたのではない。彼は燃え尽きたのだ。