霧社事件。

▼日本人女性の視点から霧社事件を描いた西村望の『もう日は暮れた』は、とても衝撃を受けた作品で、ぜひ映画にして欲しかったのだが、叶うことはおそらく有るまい。現在この国を取り巻く状況ではもう無理だ。▼現在、手元に本がなく、しかも大昔に読んだきりで内容についての記憶もかなり不確かだ。でも確か、切り落とした首を桜か何かの大木にくくり突き付けた、「生首ツリー」が描かれてた筈である。その異様さに込められた悲劇を映像 で見たかったのだが。『セデック・バレ』にはそのようなシーンはない。▼あくまで個人的感想なのだが、本作はCGを多用した現代的に料理されたアクション映画的であるがゆえに不満がある。別にそれは悪いことではなく、映画を貶める気は全くない。ただ見たかったのはこれではなかったということだけなのだ。実は昨年ある映画を観て『もう日は暮れた』の映画版を頭に描けたのだ。アメリカ映画の傑作『ソルジャーブルー』である。▼『ソルジャーブルー』は、クライマックスで白人による大虐殺をあからさまに描き、隠された正史を白日のもとに晒す。正視に耐えがたい暴力描写の中に見なければならない真実があるのだ。私が霧社事件を描くとしたら、異文化の衝突の悲劇として、虐げられた先住民の怒りを汲みながらも、あくまでも人間同士の過ちだと描きたい。満州から引き上げ者である西村望の『もう日は暮れた』には反戦の意志、愚行の対する虚しさがしっかり書かれていたと思う。▼史実では、反乱は半月後には鎮圧され、先住民は多数殺された。日本側が火器で圧倒したのだろうから虐殺と言っていい。『もう日は暮れた』ではそこまで描かれていた記憶はない。だから映画化するなら、この二つの、日本人、先住民の虐殺を描く。暴力には暴力を。そんな相殺関係などないと、はっきり解るはずだ。