タイトルくらいしか載せられません。

▼長谷部安春監督にとってポルノは、ファンタジーなのかも知れない。『犯す』の蟹江敬三はストイックなまでの美学を持ち合わせる性犯罪者だったし、『暴行切り裂きジャック』の林ゆたかには絶対に人肌を切ることの出来ないパレットナイフを持たせる。三作を繋げば、蟹江敬三が突き立てた男性のメタファーとしてのナイフは、林の妄想凶器パレットナイフに変貌し、この『暴姦』に至って石山雄大の男根に転生したのだ。石山はそれをもって女を天国に送る。時代劇でいえば妖刀村正を手に辻斬りをするようなこのような人物像は現実では到底あり得ない。▼謎の二人組が、突然深夜のガソリンスタンドを来訪するオープニングから不穏な空気が漂う。画面に緊張感が走る中、捜索が空振りに終わり事務所を出ていく二人。彼らが乗り込んだ車にはもう一人いるが状況はまるで見えない。闇に溶けるように去って行く車をただ見送るGS店員の青年の前に、ヌルりと現れたのは、赤いジャンパーの男石山雄大だ。ここまでの暗黒映画的な展開が実にスリリングで見事だ。▼なんの因果か二人は行動を共にすることになる。というか、青年は石山に憧れを抱いているのだ。何故なら青年のは、途中で萎えてしまうから。石山との違いは何か。おそらくそれは確固たる意志だ。それは、己れの意志で凶器になるまで高めなければならないのだ。▼こうして書いていてこの映画が描くものは男の夢、妄想なのは、わかると思う。だが『暴姦』は夢を悪夢に変えさせる。石山の末路は悲惨だ。想像を絶する暴力が瀕死の石山を襲う。日中、無人の水のないプールで行われるこの凄惨なリンチシーンは、どこまでも空虚だ。それとは対照的に青年の殺らなきゃ殺られる状況下での反撃は切迫感に満ちている。長谷部安春作品には常に清みきったまでの本物の殺意がある。▼ラストシーン、青年と山科ゆりの交わりに非現実的なまでに羽毛が降りかかる。思いもよらず石山雄大を慕うようになっていった山科。バレリーナの衣装を纏った彼女の姿はまるでウェディングドレスのように純潔に見える。そうすると舞い散る羽毛は結婚式のライスシャワーのように見えてくる。羽毛の効果もあって青年は石山雄大二代目として生まれ変わったようにも見える。これは、つまり山科と青年に愛が生まれたというのか。それこそまさにファンタジーなのである。