頑固者。

▼ハードコアときくとポルノを連想させるが、厳格な、または頑固者という意味も持っているそうだ。この映画の主人公ジョージ・C・スコットは、まさに厳格な宗教信者である。その頑固さゆえに妻が出ていったという現実を心のどこかで自覚している彼は、劣悪な映像のなかで絡む裸の娘の姿を見て一人呟く。『俺のせいか』と。▼この映画、単純に性産業をけしからんと否定するだけの映画には見えない。結局は男に搾取されている性労働者の女性たちに、スコットは同情的な眼をちゃんと向けている。だが頑固者の彼が性欲の誘惑に揺らぐことは一切ない。その厳格さこそ、彼をあらゆるものから断絶させてしまっているコアなのだ。▼エロを食っている商売人、映像作品として取り組むポルノ監督など下衆な男たちと渡り合いながら一人捜索を続けるスコット。ピーター・ボイルの探偵も全くあてにはならない。▼そんな彼の目の前に協力者が現れる。風俗嬢シーズン・フューブリー。酸いも甘いもかぎ分けた彼女は、ドラマとしてはスコットの娘の役割も演じ、かつこの世界で彼と唯一心を通わす。その交流は絶望の生活で自棄的だった彼女にも希望の光を与えるのだが、皮肉にも実の娘の救出の成功で、スコットとの激しい断絶に気付かされる。人混みに紛れて行く彼女を追おうとするスコット。探偵ボイルがそれを止める。住む世界が違うのだと。スコットも、彼女も共同体の幻想から醒め、認めざる得ない。お互い赤の他人だということに。▼本来はスコットの娘は救出前に事故死する結末だったそうだ。哀しくはあるが、男親には都合良く見えなくもない。映画ではスナッフポルノ製作者のボスは成敗され、娘も帰宅に応じる。多分スコットの苦悩は、まだ続く筈だ。娘は、はたして宗教で救われるのだろか。彼の厳格さゆえに断絶が埋まるように思えない。スコットに絆という希望を見てしまった己れが愚かで寂しく哀しいシーズン・フューブリー、その去って行った姿が忘れられないからだろうか。