ロックンロールの自殺者。
 ロックとポルノが融合した結果、とんでもない傑作が生まれてしまったものだ。神代辰巳監督も脚本家荒井晴彦もどちらか選べばフォークの人だろうから内田裕也との組み合わせはどうなのかと思っていたが、異様な科学反応を起こしたように思える。ロックンロールに取り憑かれた異端者内田裕也には人間としてはほとんど良いところがない。爆音ステージの上でしか生きられず、ロックであることで観客にその出鱈目を全肯定させる。この映画そのものがそうなのである。衝動のまま弾けるまくる破滅的な自由人。60年代フランスヌーヴェルバーグ、70年代アメリカンニューシネマでやったことを80年代日本でぶっ飛ばす。今の視点で見ても新鮮だと思う。アナーキーな人間の行動を追うことだけで映画が成立してしまうのだ。
 養ってもらっていた愛人を殺された内田は頭を丸める代わりに、陰部の剃毛を行い、女性用風俗の従業員に身を落とす。そして女性客の上でひたすらロックンロールを続けるのだ 。ロックンロールとは死ぬまで止められない人間の猥歌なのだ。官能に我を忘れる中村れい子のふてぶてしい可笑しさ、角ゆり子の居直り強がる悲しさ。ここにあるのはロックンロールに心中した男女が歌い上げる猥褻な人間讃歌である。