黒いスカーフェイス。

『ブラックシーザー』の下敷きになっている『犯罪王リコ』の原作『リトルシーザー』はアル・カポネをモデルとして書かれたそうだ。『スカーフェイス』のオリジナル『暗黒街の顔役』もカポネがモデルだから、本作は異母兄弟と言えるかも知れない。
『夜の大捜査線』が三作目に至って主役が黒人である必然性すらなくなってしまったのに対し、『ブラックシーザー』は全編をファンキーでアナーキーに黒く染め上げる。低予算ゆえに細かいことは気にするなと次々と死体の山を築くクールさは、メジャーではとても作れない類いのものだ。しかし、フレッド・ウィリアムソンは、野望を一つ達成する度に何かを失う。暴力的な男ながらお人好しかと思うくらい彼は愛情深く、その為に自分を破滅させる。刺客に襲襲撃され、手負いの獣となって街を逃げ回るシークエンスは、ゲリラ撮影の効果もありスピード感が尋常ではない。『拳銃魔』を彷彿させるライブ感あふれるカメラワークにB級映画ならではの鮮烈な美学が刻み込まれている。
彼は逃走の果てに本当に倒すべきもの、真の敵を悟る。白人刑事に積年の恨みを叩きつけるカタルシスは、映画冒頭の伏線が効いて見事だ。しかし、悪徳刑事を裁いた彼もまた裁かれなけれらない。それは、警察につかまる社会の道徳でもなければ、マフィアの暗黒の掟でもない。フレッドは、街のチンピラ小僧たちにタコ殴りにされて命を落とすのだ。これはストリートを生きる者の宿命だろう。正義の漢シャフト や新たな自己を見いだしたスーパーフライとは明らかに違うその過酷さは、寒々とひりつく現実感覚がある。70年代ブラックアクションムービーのベストたる所以もそこにあるのだと思う。