霧のストレンジャー、なんて出てこない。
 名作『夜の大捜査線』の三作目にして最終作の本作は評価が低く一作目の遥か後方に置かれてしまっている。それも納得の出来かも知れないが、個人的には捨てがたい魅力がある。
この映画の初見の中学生当時刻み込まれたのは、ストーリーでも、シドニー・ポワチエでもなく、工事中の地下鉄線路上の追跡シーンである。ゴールデン洋画劇場の予告で観た、暗いトンネル状の空間の中、溶接工事の火花が鮮やかに弾ける、あのシーンの美しさなのだ。この映画には、あのシーンくらいしかアクションがなく、『ダーティハリー』的な刑事ものを期待した中学生の気持ちは肩透かしを食らった訳だけれど、内容自体も自警団グループの存在が物語のなかで軽く扱われていて乗れないのだ。それは今回見直したても、変わらなかった。シドニー・ポワチエのバージル・ティプスと若者たちの自警団グループの気持ちがうまく擦りあっていない。そこそこ裕福そうなバージル・ティプスの中流家庭と麻薬で壊された若者たちの貧しい家庭は相容れないように見えるのだ。第一作が人種問題を結局は解決出来なかったように、この映画でも人種を越えた共闘は終局的にはうまくいかない。そして、それは型通りだと言ってしまえる程度のものでしかなく、やるせない挫折感が漂うことはないのだ。不完全燃焼ゆえに結果的につまらない映画という感想が残ってしまうのだろう。
 ただ、オープニングで爆弾を仕掛けたグループの女、東洋人女性が夜の街を駅まで疾走するタイトルバックのシークエンスはなかなかカッコいい。列車に飛び乗り、こちらを振り返る様は、初見時の印象を思い起こしてくれるほどである。紅一点の彼女は、中盤で組織の連中に襲われ命を落とす。彼女が乗車した車のフロントガラスが叩き割られる、怖いシーンがあるのだが、ここも予告編で使われた筈である。 この夜の襲撃シーン、頑健な身体にトレンチコートを羽織ったポワチエ、そして地下鉄と、予告で観たのはまさに暗黒の映画の世界である。しかし、本編の序盤息子の性教育に顔をしかめるボワチエを観るに至ってそんな世界観は崩れる。私生活のないハリーとも恋人の仕事場に向かうブリットとの違うこの落差。所帯染みたポワチエに黒人俳優の独特の危険な色気はなく、映画そのものをひどく白けさせてしまうのだ。