映画とは人生そのもの。

映画ばかり観ていると人生棒に振るけれども、不思議と後悔はしないのではないかと思う。映画を通して様々な生き方を観てきたからだ。友情は正義と同じくらい尊く、見返りを求めない愛は美しい。意外なほどそれは真実なのだ。
おそらくそんな思想を持つ川谷拓三扮するダンさんは、映画を1年に365本観るのを20年続けるのが目標だと言うが、その理由は語られない。あまり幸せそうには見えない彼にとっては映画を観ることこそ生きることだったと思える。何故なら、映画の中では慎ましい生活こそが正しいことであり、格好悪いことさえ格好良く見えるからだ。結果として彼は人生の最期で空想を飛び越えて殴り込みを現実化させる。その行動は正しくはなかったかも知れないが後悔はなかったはずだ。大部屋俳優だった男のラストステージだから。原田眞人監督の分身であるシューマはスクリーンにその川谷拓三の姿を投影させる。彼にとってもラストショーなのだ。青春の終わりなのだ。
この映画の存在を知ったのは実家の棚にあったシングルレコードからであった。貼り付けたのはそのジャケットである。どこかコメディっぽい印象で、「映画の」という部分が抜け落ち『さらば友よ』の題名で記憶された。ブロンソンとドロンの『さらば友よ』は高校生の時に観たのだが『さらば映画の友よ』は、あれからウン十年、今回鑑賞する事が出来た。原田眞人監督の第1作の本作は自主制作と言えども個性豊かなキャスティングもあって映画としてのスタイルはしっかりと出来ていてなかなかのものだ。映画マニアには浅野温子のような美人は絶対に近寄らないため恋愛パートは面映ゆいものの、アンニュイでエキセントリックな彼女の独特の女性像は時代を越えて色褪せていない。正直、原田眞人監督の奇をてらったストーリーの作品群はあまり得意ではない。本作の主人公は川谷拓三や浅野温子には何もしてあげらず、また自分も成長しない。二人の不幸を横目で見ながら通り過ぎる彼はどこか冷たい。ブロンソンとドロン、二人の間に燃えた静かな炎は、この映画にはなかったのだ。