不発弾。
『鉄砲玉の美学』。凄くいいタイトルだ。言葉そのものが光っている。ここからイメージするのは、暗殺の命を受け送りこまれたヒットマンがギラギラと弾けながら華々しく散る。と言った感じだが、この映画は正にその逆である。鉄砲玉渡瀬恒彦の使命は、まったくの不発に終わる。彼は手にした百万円を快楽の為にひたすら浪費する。ヤクザ社会ですら自分が役立たずのクズなのだということを認めたくない彼は暴走し、人生の花火を打ち上げられないまま自滅する。本作は一見安物ヤクザ映画の印象しか受けないかも知れない。ATG映画だから、硬質で高尚な映画かなという期待にも答えてくれない。だからと言って芸術映画としてもヤクザ映画としても失敗作と決めつけるのは早計だろう。眼を閉じるとウサギのモンタージュが意外なほど効いてくるのがわかる。ウサギの印象を残すヤクザ映画はめったにあるまい。
 中島貞夫監督は、ヤクザの行動原理を飢えに求める。頭脳警察の「ふざけんじゃねえよ』をバックに飯、女に食らいつく人間たちが点描される。元コックのチンピラ渡瀬恒彦は、兎を売りながら風俗嬢の恋人共々食をインスタント麺に頼る日々だ。正にハングリーな状態だ。そんな彼が使い捨ての鉄砲玉に選ばれる。死んでこい、つまり百万円で命を売ったのだが、それを知ってか知らずか、渡瀬恒彦は金と拳銃を手に有頂天だ。あらゆるものを屈服させるチカラを手にした彼であったが最高の女・杉本美樹を思い通りに支配して遊んでいる間に、誰にとっても無意味な存在に成り果てる。そんなシニカルな人間観を持つ中島映画なのだが渡瀬恒彦を突き放して描ききれなかったようにも思う。飢えた彼をたらふく食わせたり、足腰が立たなくなるまで女を抱いたり、欲望には限りがあり、結局は満たされない皮肉なユーモアが描かれていればと思う。虚勢を張るだけのチンピラの空回りがチャーミングすぎる。
 被弾した彼は狂犬のように街を駆け抜け、念願の霧島山への道のりで息絶える。その願いが幼稚なスピリチュアル信仰からなのかよくわからないが、二度目の視聴、渡瀬恒彦のチンピラの経歴と末路を知った上で見ると映画の始めのほう雀卓を囲む中、荒木一郎が口ずさむ歌謡曲「希望」が妙に心に刺さる。なんでもいい希望さえあればよかったのだろう。彼が鉄砲玉になったのもその賭けたのだとも思える。そんな男の野たれ死んだ様に人参にかじりつく兎が重なる。己れが気弱な兎なのを知らずに、彼はあこがれを実践するようにブラックスーツに身を包み、ジョニ黒片手に欲望の赴くまま女にかぶりつく。ひたすら思う存分札びらを切って生きる。それこそがチンピラの彼=鉄砲玉の美学だったのかも知れない。