ねじれた奴。
個人的にはルチオ・フルチの『サンゲリア』なんてつまらんと思っている。鮫と戦うゾンビが出てきて呆れてゲンナリするのだ。しかし、『幻想殺人』を観て少し考えが変わったのだ。

ややまどろっこしい語り口ではある 殺人劇『幻想殺人』のキーとなるのは夢診断である。夢という不条理世界をルチオ・フルチは退廃と官能の酒池肉林の乱交で描く。圧巻である。 夢診断についても興味深く語られるが、フルチはこれを観客へのミスリードに使う。夢診断のほとんどは人間の押さえられ性欲の裏返しで説明がつくなら、夢は人間の業の具現化ともいえる。『幻想殺人』で最終的に描かれるのは、すれ違いの家族愛という業の悲劇である。晩年「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」の映画化の構想を練っていたフルチ監督の 本質に実存主義的なものを感じる。彼のゾンビは食という業によってもがき、ひたすら漂う人間の成れの果ての姿に他ならない。

 『サンゲリア』の、あの鮫とゾンビのバトルの笑うに笑えない居心地の悪さ。ここにあるのは、映画監督という雇われ人の悲哀である。その諦念のため映画そのものが躍動することはない。しかし小屋のなか数人のゾンビたちの侘しい食事シーンに独特の凄みを感じる。何故か人間の深淵が見えて仕方がないのだ。