暴力地方都市。

『ゴキブリ刑事』の第二弾となる本作『ザ・ゴキブリ』は、世に数多ある偽ダーティハリーの中でもかなり楽しめる部類に入るだろう。前作と違って暴力刑事のキャラクターの内面がほとんど描かれない為、とにかく乾いていてスピーディーだ。そんな刑事は防弾ベストを着用し、先に相手に撃たせ、正当防衛の名の元に女もろとも射殺する。こんな刑事いるはずがないのだが、これらは『ダーティハリー』の特異さでもあるのだ。劇中ハリーの私生活はまったく描かれないし、ラストの対決も相手に銃を持たせようとけしかけているようにも見える。それはつまり「キラー」とクレジットされ名前すら与えられない殺人鬼とハリーはある意味コインの表と裏の関係のようなものだということなのだ。共に狩るもの、狩られるもの、である。『ザ・ゴキブリ」は敵が弱すぎて、主人公の肖像が浮かび上がって来ない。観てる分には面白いが、残念ながら終わってしまえば残るものがないのだ。
この二部作は首都圏ではあるものの地方の工業都市を舞台としている。『ゴキブリ刑事』の茨城県など、 70年代とは言え、驚くほどの荒野である。マッドマックスのように延々と続く直線道路のカーチェイスは、日本とは思えないワイルドさがある。『ザ・ゴキブリ』で描かれる企業と暴力団、警察の癒着は新味はないのだが公害が絡むと、途端にハメット『赤い収穫』が浮かぶ。
『赤い収穫』の舞台は今は寂れた鉱山の街である。いぶされたように黒ずんだ町並みを覆いつくす陰気な空。 富の代わりに垂れ流された汚染まみれの土地はポイズンヴィルの名の通り毒の街に変貌を遂げたのだ。公害に侵されたこの街のイメージが不意に頭をよぎったのだ。ここで私は『赤い収穫』のこのイメージは作品の世界を決定づける重要な意味を持っていたことに初めて気付たのだ。主人公名無しのオプは身も心も蝕む腐りゆく街で「毒」にあたり狂う。街中でとぐろを巻く他の悪党たちと同じように。人間を狂わすような街のイメージには、この陰気な空気感が不可欠なのだ。これは別に『赤い収穫』が公害告発小説と言っている意味ではない。ただ、人が狂うことで生まれのが犯罪であるなら、殺人協奏曲とばかりにおびただしい死体の山が築かれる『赤い収穫』は正常な人間たちの物語ではないのだ。オプの他の短編群と明らかに断絶している世界がここにある。
と、まったく映画と関係ないことを思い付くまま書いてしまった。ハメットに関しても、製作側はまったく考えていないと思う。ただ個人的ハードボイルド観の補足を得られた。その収穫は大きい。