もう一人のホイットマン。
ひさびさに見直してみたのだが、とても面白かった。この映画、平凡な観客たちの喜怒哀楽のドラマと、狙撃犯とチャールトン・ヘストン、ジョン・カサヴェテスの警察の攻防のドラマが乖離し過ぎてマイナスな印象に働き、繰り返し観賞するモチベーションが湧かないのだ。痛快さに欠けると言ったらいいのか。実際は、観客がスタジアムに入って、ライフルのスコープが標的を求めて動き出せば映画に入り込める。顔すらまともに写さない謎の狙撃者と、日常的な薄いドラマのコントラストは、むしろ射たれたスワット隊員と、それに気付かず大盛り上がりの観客の対比などを効果的に浮き上がらせるようにも見れるのだ。映画が終わって『激突』の犯人くらい狙撃犯に人間の印象はないことに気付く。向こうがトレーラーだとしたら、レミントン改造ライフルのイメージだけが残されるのだ。何処のどういう人間かは全く描かれず、名前だけしか知らされない犯人との落差ゆえに、『激突』のトレーラーのような何かライフルそのものが狂った生き物のように銃弾を吐き出していたように思えてくるのだ。狙撃者とスワット隊員が同時にスコープ越しに向き合い、犯人側が一瞬速く射撃する恐ろしくも見事な名シーンが象徴する銃犯罪の凶悪さに、マイケル・ムーアの前での全米ライフル協会会長ヘストンの開き直りをふと思い出した。慈悲なき銃口がその規制の重要性を感じさせずにはいられないのだ。プロット的に昔の映画と嘲られながらも、無差別射撃事件を描いて本作は今なお銃の脅威を知らしめているように思える。