本当に恐ろしいものとは。

萩原健一が伊右衛門を演じているだけ観たくなるのだが、蜷川幸雄が監督だとなんとなく躊躇してしまう。時代劇四谷怪談に、シェイクスピアは合うのだろうか。結論から言えば本作は怖くはない。四谷怪談を青春物語と読み解いたためか、海や砂浜が舞台として登場するのだが特に爽快感はなく違和感だけが残る。伊右衛門が不器用だとか、魚の鱗が苦手とかいう性格描写がいらないし、せっかくの赤穂浪人の設定が使われずもったいない。しかし、クラシック音楽の使用など深作欣二監督『忠臣蔵外伝 四谷怪談』の影響を与えた要素も見えて、捨てがたい魅力もある。
本作においては 四谷怪談は副題であり、『魔性の夏』が本題なのだが、それを体現するのは、お岩を演じる高橋恵子ではなく、むしろ妹のお袖を演じる夏目雅子なのだ。旧来の映画ではお袖はあまり目立たず気の毒であるがイライラする役柄だ。こんな小さい役を夏目雅子がやる必要はないと最初は思うのだが、終盤に向けて大きな存在に変化する。本作のお袖は岡場所に勤めるいわば娼婦と描かれ、不本意ながらも伊右衛門とすら交わる。そんな淫らな自分を罰するべくお岩を死なせた毒を呷る。妖しくもなぜか健康的なその美しさ、そして身もこころも醜い姿へ変わってみせる女の恐怖を演じた夏目雅子が素晴らしい。この映画、お岩、伊右衛門、お袖、更に森下愛子のお梅を交えた 四角関係にしたらよかったのではないとすら思うのだが。四谷怪談は単なる幽霊談ではない。地に蠢く生身の欲望が物語の底に敷き詰められ、幽霊になってもなおも業に縛られすがりつく人間のドラマなのだ。
『魔性の夏』においても、登場人物のほとんどは死ぬ。みなごろしのドラマなのだが、もの足りず盛り上がりに欠ける。伊右衛門を演じる萩原健一の破れた魅力が描かれていないから、期待したような色悪の伊右衛門には程遠いのだ。 タイトルから想起するエロチシズムも希薄だ。肝心の高橋恵子のお岩の彫りが浅すぎる。夏目雅子だけではなく、森下愛子にもある種の魔性の匂いはあるのだが、お岩にはない。というか、それを見せないのがお岩だと思うし、死んだことによって隠されていた魔性が露になるという描き方があったのではないか。死へ引きずり込む誘惑の恐怖と淫らな悪夢が交差し魔界へ昇華する、そんな四谷怪談が観たいかったのだが。